アルカディア──それは、人類に死を回避する力を与えた夢のシステム。
飛躍したクローン技術と記憶の量子化により実現した人類史に残る偉業だ。
まず、兵士一人ひとりが装着しているチョーカー型の装置が、その兵士の記憶をリアルタイムでデータ化している。そしてチョーカーが身体の死を認識した瞬間、この記憶変数体と呼ばれる記憶データを、生成したクローンの脳へとインストールする。
そうして生成されるのは、死の直前までの対象と同一の存在。
生き返るのではなく、死の回避。あるいは、記憶の連続性の維持。
それが、アルカディアによる〝複体再生〟である。
つまるところアルカディアとは、この一連の流れを統括し、記憶変数体の保管を行うシステムのことなのだ。
アルカディアが軍事目的で実用化された時、世界各国──特に、二大大国と呼ばれているローレリア連邦とエルメア合衆国はこの登場をもろ手を上げて迎えたという。
それまでの高度化し続ける無人兵器主体の戦場は、既に数多くの問題を抱えていた。
陸海空に跋扈するドローンは軍拡に次ぐ軍拡で単価が莫大に跳ね上がり、終いには無人機がなかった時代の兵員よりも何倍も多くの機体を揃える必要があった。その時軍用ドローンの価値は、兵士の命より高くなっていた。
しかも、最高級のAIを搭載した高価格帯のドローンならまだしも、基地にAIの本体を置き遠隔操縦することが基本となるその他大勢の量産型ドローンは、原則として電磁パルスや通信妨害に対して極端に弱い。
そうなると結局、最前線に人間の兵士が立つ必要があった。
人間の兵士はいなくならず、国防費は嵩を増し、ブリキの兵器ばかりが溢れていく──。
そうした問題を、アルカディアは一挙に解決することになる。
クローンの生体材料は、食品印刷技術の発展により安価に調達できる。
加えて、人間の兵士を直接展開できるため、通信の遅延に悩まされることなくプログラムに縛られない戦況評価と交戦判断を現地で素早く下せる。
極めつけは、彼らは決して死なないのだ。
安く、強く、そして誰も死なない。
そう──アルカディアは、文字通り戦場を一変させた。
しかし、そんな完璧に見えるシステムにも、一つだけ欠点が存在した。
──それは、アルカディアによる記憶変数体の書き換えが、十九歳以下の未成熟な脳にしか行えないという魔の制約だった。
熱したガラス玉のように赤くなった太陽が西の稜線に消える頃。
異様に明るい月が見え始めた藍色の空の下で、うだるような暑さを吹き飛ばさんばかりに重いビートの効いたダンスミュージックが流れてくる。
簡易的に作られたステージの上では、DJを務める第三小隊の隊長が派手な私服で両手を掲げていた。音楽の盛り上がりに合わせて、至る所から歓声が上がる。
そこでは千人を超す大勢の若者たちが、週に一度のグリルパーティに興じていた。
避暑地の山奥にあるような巨大なロッジからは、塊肉やソーセージを山盛りにしたプレートがひっきりなしに運び出され、隣接した芝生の広場に点在するバーベキューコンロへと持ち寄られる。
秋人はそのうちの一つの前でトングを持って、額の汗を拭いながら肉の面倒を見ていた。
顔を上げると、ロッジの平たい屋根のすぐ向こうに駐機場にずらりと並ぶ輸送ヘリの輪郭が覗いている。その隣には戦略外骨格とイージス戦車の無骨な影が続いていた。
そう──ここはエルメア合衆国の嶺京前哨基地にある食堂と、そこに隣接する広場だった。
「ねえ、アキ。お肉まだー?」
そう言って、秋人の横で目を輝かせた金髪少女、天代玲奈がフォークを構えて臨戦態勢に入った。
「もう少し待て玲奈。今日は珍しく天然物も混じっているから時間がかかるんだ──っておい遼太郎、それまだ焼けてないぞ!」
玲奈をたしなめていると、赤く染めた短髪が目を引く第一小隊副隊長──葉木遼太郎がその反対側から箸を伸ばして肉の塊をかっさらっていく。
「俺は生焼けくらいが好きなんだ──ってこれ天然物じゃねえか! しかも鳥肉!」
「だから言っただろ! 知らないぞ、明日腹痛で真っ先に複体再生することになっても」
「……んなクソダサい理由でリスできるかよ」
秋人は息を吐くと、足元の氷水がたっぷり入ったアイスボックスから、キンキンに冷えた炭酸飲料の缶を適当に取る。そうして溜まった疲れとともに、人工甘味料と正体不明のフレーバーの混合物を喉に流し込んだ。
近くから別の小隊の声が聞こえてくる。
「また第一小隊の奴ら全滅したらしいぜ。対人キル数も小隊の中で最下位。このままじゃあいつら全員、内申書に赤が入るかもな」
「赤点で済めばまだマシだろう。最悪、処分される可能性だってある」
「……変なこと言うなよ。あれは都市伝説だろ。──ま、戦績が最低な第一小隊にはもう少し仕事してもらいたいもんだね。特に一之瀬隊長殿にはな」
ライガー隊の面々が無言で俯く。
またか、と内心で溜息をついて培養肉の牛サーロインに視線を戻し、その隣で遼太郎が手にした割り箸をバキリと割る。
そうして遼太郎は勢いよく振り返ると、テーブルを囲んでいた第二小隊の連中に向かって真正面から叫んだ。
「テメェら丸聞こえなんだよ! 今日も戦線維持できたのは誰のお陰だと思ってんだ! 俺ら第一小隊が身体張って《致死の蒼》の奴を止めたからだろうが! ……止めていたのは主に秋人だけどよ」
「……ッチ。うるせえよ葉木。どれだけ止めたかじゃねえ、どれだけ殺したかで話せよ。元エース様の一之瀬はすっかり腑抜けちまってまともに敵兵も殺せないんだろ? その部下たるお前らも全然キルしてないじゃないか。てめえら負け犬小隊はエルメアのお荷物なんだよ」
第二小隊の男たちはつまらなそうに鼻を鳴らして、空になったプレートと食器を持ってロッジの方へと立ち去る。
残されたライガー隊の間には、重い空気だけが残った。
その後ろ姿を見送った遼太郎は、今度はぐるりと秋人に向き直る。
「……ッたく、秋人も秋人だぜ。悪いけど、あいつらの言う通りだ。全然、キルしてねえじゃねえか。どんな戦場も血の海にしてきた《血も無き兵》の名が聞いて呆れる」
攻撃的な目を向けてくる遼太郎に、秋人はカラリと笑った。
「《血も無き兵》の名の通り、今後は血を流さない方向で戦おうかと思ってさ」
「笑えねえ冗談はやめろ」
秋人は短く肩を竦める。
「それに、対自律兵器の戦績は一位なんだからいいだろ」
「対人の数字がやべえだろって言ってんだ。テメェ、総合戦績で言えば平均割るくらいだろうが。ぶっちぎりでトップだった頃が懐かしいレベルだぞオイ」
「俺の戦績は別にいいんだよ。第一小隊のメンバーの戦績が確保できればそれでいい」
「あのなぁ、テメェのそういう態度が隊全体の雰囲気を──」
「はいストップ、ストップ! アキは早くお肉ひっくり返して! 焦げちゃう! リョウは喋ってないでどんどん食べる! せっかくのご馳走が冷めちゃうよ!」
「オイ玲奈、待て、俺の話はまだ終わってな──」
「あのねえリョウ、さっきからアキばっか責めてるけどそういう自分はどうなの? やり方に文句あるなら、今年の総合戦績でアキに勝って、自分が隊長になってから言いなよ。他のみんなもだからね?」
両手を腰に当ててそう言う玲奈に、遼太郎や周りの隊員たちが一斉にたじろぐ。
すると今度はビシッと秋人の鼻先を指さした。
「それで、アキは前の戦績をちゃんと取り戻すこと。みんなは急に評点を取れなくなって不安になってるの、わかるでしょ? 隊長なんだからしっかりして」
「……わかったよ」
秋人は遼太郎と目を見合わせ、二人して息をついた。昔から、彼女に逆らうことはできないのだ。それから秋人は遼太郎のプレートに火が回ったステーキ肉を載せた。
「遼太郎のせいで怒られたじゃないか」
「誰のせいだよ誰の」
遼太郎と肩を並べて、ひそひそと言葉を交わす。
「それと遼太郎、あのTACネームやめないか? 最近じゃほとんど使わないし何よりも恥ずかしい」
「今更変えられるかよ、混乱するだろうが。……三年前に嶺京前哨基地に配置された頃はカッコイイと思ったんだけどよ」
「お前のセンスは難アリだからな」
「うるせえ、俺に命名を依頼した秋人が悪い」
それから秋人は玲奈をはじめとした他の第一小隊のメンバーに綺麗に焼き目のついた肉汁滴るステーキを渡していく。
玲奈が満面の笑みで肉を頰張っては嚥下して、至福の溜息をつく。それから彼女は嶺京の超高層ビル群へと目を向けた。
ここから直接見えないが、その方角の先にあるのはエルメア合衆国の宿敵──ローレリア連邦軍の前哨基地である。
秋人は溜息とともに零す。
「──この戦争、いつになったら終わるんだろうな」
その呟きに、遼太郎が言い放つ。
「終わんねえよ。もう、戦争ありきで世界が回るようになっちまってんだ。って言うか戦争が終わっちまうと評点が稼げなくなるから困るぜ」
「遼太郎に人生設計があるとは意外だ」
「ンだとこの野郎。俺は退役したら世界を股にかけた兵器トレーダーになる。それで大金持ちになって、一生遊んで暮らすんだ。そん時は一人くらい、養ってやってもいいが──」
そうして遼太郎は玲奈をチラリと見るが、当の本人は自分の将来像に夢中だった。
「私は田舎に家を買って、緑に囲まれながら服のデザインをしたいな~。滅茶苦茶有名になって、将来は私のモデリングしたデータにプレミアがつくの」
「玲奈がデザイナーだぁ? 九ミリぶっ放してる奴にまともな服を作れるとは思えねえな」
小馬鹿にする遼太郎に、玲奈は自信満々の表情を崩さずに続ける。
「私がビッグになりすぎて後悔しても遅いんだから。……有名になったら忙しくなるだろうから、その時はアキも一緒に手伝ってよ。アキもゆったりした生活は好きでしょ?」
首をちょこんと傾けてくる玲奈の笑顔が眩しくて、秋人は目を逸らした。
「俺は服のこととかよく分からないからいいよ。……今を生きるのに精いっぱいだ」
「そう? アキも結構いいセンスしてると思うけど。ま、取らぬ狸のなんとやらってね。まずは評点を取らないことには始まらないし。頑張って敵を倒さなきゃ」
「評点、か──」
秋人は口の中で短く反芻した。
毎日毎日、痛みを堪えながら戦場を飛び回り、敵と味方の血を浴びて戦線を切り拓く──そんな地獄の日々でも毎朝起きて前へ踏み出せるのは、ひとえに評点という数字故だった。
戦場に立つ秋人たち子供は、その過大な国への貢献に応じて、将来を約束してくれる仕組みがある。
戦績を上げれば階級が上がり、二十歳に迎える退役時の階級が高ければ高いほど、自由な進路を国から提示される。軍の高官になって国防を指揮するもよし、商社に入って世界を股にかけるトレーダーになるもよし。あるいは戦場から一番遠いところで映画なんてものを撮ることも場合によっては許されると聞く。
一方で、この評点が低ければ、将来の生き方の選択肢が大幅に絞られる。臭いことで有名な完全栄養魚類の生産管理人や、廃骸都市の清掃員、他にも兵器開発の危険な実験場勤務などなど──。
このように、将来の可能性の幅が、十九歳までの戦績如何によって決まってしまうのだ。
だからこそ、秋人は隊長として第一小隊の面々が確実に評点を得られるように綿密に作戦を練って戦場に繰り出している。
それでも、秋人はそんな未来の全てが戦争ありきで評価される仕組みに疑問を持っていた。
「一番いいのは、お互いに落としどころを見つけて停戦することじゃないのか。……虐殺の果てに勝利を摑んでも、俺は喜べない」
呟いた秋人の言葉に、遼太郎が眉を寄せる。
「はあ? 何言ってやがる秋人。ロッツが停戦協定なんて受け入れるわけねえだろうが。奴ら、制圧した土地のエルメア人は皆殺しにするって話じゃねえか。戦い続けるしかねえんだよ」
秋人は遼太郎の言葉に、視線を逸らした。その先に映るのは、鉄網に並べられた肉の塊。
それが、半日前の戦場の景色を思い出させた。
「そうだとしても可能性は探り続けるべきだろ。……俺たちがしていることは、結局のところ人殺しなんだから」
秋人が言うと、玲奈と遼太郎は口を噤む。
一瞬の間が空く。
それから二人は顔を見合わせ、そして玲奈が秋人に言った。
「それがどうしたの?」
悪意のない、ただ純粋な疑問を浮かべる少女の顔がそこにある。
秋人は静かに息を吞んだ。
分かり切っていた反応だったにも関わらず、自分の中に驚きの感情があることに動揺した。もしかすると、自分はもっと別の答えを期待していたのかもしれない。
それでも、言わずにはいられない。
「アルカディアのお陰で確かに俺たちは死なない。……でも敵や味方が感じる痛みまでが無くなるわけじゃない。死が、なかったことにはならないだろ」
「オイオイ秋人、なに当たり前のことを言ってんだよ。それが戦争ってもんだろ」
そこに玲奈が言葉を繫ぐ。
「アキの言っていることも分からなくないけどさ。でも、別によくない? ──だって、生き返るんだし」
今度こそ秋人は言葉を失った。
いつの間にか、他の隊員たちも手を止めて秋人たちの会話を聞いている。その彼らも、全員遼太郎と玲奈の言葉に頷いていた。
何か言い返さなければ──そう思えば思うほど、思考が空転する。
そこに、玲奈がとどめの一言を放った。
「それに、みんなやってることだよ? 人殺しなんて」
秋人は悟る。
──ああ、自分がおかしいのだ、と。
見ている場所が違うのだと。
「私たちは敵を殺して、戦果を上げて、点数稼いで、そうして幸せな未来を摑む。誰も死なないし、誰も困らない。それだけでいいじゃん」
「大人たちが何考えてるか知らねえけどよ。人生上手くいくためのレールが目の前に敷かれてるんだ。進む以外の選択肢があるかよ」
そう言って箸の先端を向けてくる遼太郎に向かって、秋人はむっとなって言葉を返す。
「……そのために、俺たちは人を殺し続けるのか。同じ、子供たちを」
「あんなの、ただの的だと思ってりゃいいだろ」
「敵とは言え彼らは自律兵器とは違う……生きてる人間だぞ!」
「違わねーよ。壊れたら作り直す。同じじゃねえか」
子供が戦場に立つなんて──。
アルカディアを導入する際に、世の大人たちは反対する──そう思われた。
しかし、実際にはそうならなかった。
理由は単純。
第一に、既に無人兵器の操縦者のほとんどが習得が速く訓練コストの安い子供だったということ。
そして第二に──これが最も主な理由なのだが──死ぬわけではないという事実だった。
時代によって世界は変わる。
それは倫理観も例外ではない。
別に死ぬわけでもないし──それを免罪符に、人々は受け入れたのだ。
子供たちがアルカディアによって戦場に立つことを。
それと同じことが、秋人ら兵士たちの考えにも根付いている。
「あーっ、もっと評点稼げるようになりたいなー! 《致死の蒼》をボッコボコにできるくらい力が欲しいーっ」
玲奈が強張った空気を解すように、夜空に向かって叫ぶ。
その姿を秋人は複雑な気持ちで横目に眺めるのみ。
「秋人、テメェやっぱ最近おかしいぞ」
するとサイコロステーキを飲み込んだ遼太郎が眉をひそめて秋人に言葉を向けた。
部隊のみんながこちらの様子を伺っていた。
秋人は一度ぎゅっと目を瞑ると、決断を下す。
──おかしいのは、俺だ。
それから笑って遼太郎の肩を叩いた。
「大丈夫だ、お前ほどじゃない」
「テメェ喧嘩売ってんのか!? そうなんだな!?」
「次の方針をキル重視にしようかと悩んでいたから、抵抗あるか聞いておこうと思ったんだよ。でも、この様子だと問題なさそうだな」
「なんだ……そういうこと」
そう言って玲奈は胸を撫で下ろす。
「私も本気でアキがおかしくなっちゃったんじゃないかと心配したよ」
それからみんなで笑い合う。
そうだ。これでいい。
このまま笑っていよう。いつものように。
この想いは曲げられない。簡単には変えられない。
それでも隠し続ければ、それでいいのだ。
この中でおかしいのは、自分だけなのだから──。