──トリガーを引いた瞬間、目の前で航空ドローンが爆散した。
秋人は押し寄せた衝撃波に吹き飛ばされ、瓦礫の山に背中から叩きつけられる。
「ぐ──っ!」
眼前に広がるのは蒼い穹と、天高く湧き立つ白い入道雲。
超高層ビルに切り取られた夏空を、小型高機動ミサイルと無人戦闘機がもつれ合いながら白煙の尾を曳いて横切った。
その景色を背に、ライトマシンガンを抱えた少女がビルの残骸の上へと降り立つ。
秋人は喉の奥からせり上がってきた血に咽ながら、その兵士を睨みつけた。
「──あんたも執念深いな、《致死の蒼》」
プラチナブロンドの長髪を爆風に流した少女──TACネーム《致死の蒼》は、ゆっくり瞼を持ち上げる。
現れたのは深い蒼の瞳。空よりも青い色彩が躍る。
それは秋人と同い歳くらいの、大人と言うにはまだあか抜けていない少女だった。
端正な顔立ちをしており、見る者にここが仮想空間帯かと錯覚させるような人間離れした美しさの持ち主である。
そんな彼女は、純白のタクティカルスーツに身を包み、年の割には肉感の強い肢体を惜しげも無く晒していた。
「これで百三十四」
不意に呟いた《致死の蒼》の言葉に秋人は眉を寄せる。
「……なんの数字だ」
これまで澄ました態度を貫いていた彼女は肩を震わせると、憎々し気に表情を歪めて乱射した。
「……今日あなたが壊した機体の数よ! 可愛いあの子たちを屠るなんて、あなたに人の心はあるの!? これだからエルメア人は嫌いなのよ!」
秋人は腰のジェットキットを噴かすと、横に駆け出した。
白銀の少女もまたそれに追従してくる。
「人間をやるのはよくてドローンはダメなのか!?」
「何を言っているの? 人はすぐに再生できるけど、機械は簡単には直らないじゃない」
そんな無茶苦茶な、と思う反面、見方によっては案外正しいのかもしれないと内心で思った。
すると、高層ビル群の隙間から全長一メートルを超える新手の航空ドローンが五機、隊列を組んで飛来してくる。
秋人はタクティカルスーツに強化された脚で跳躍し、宙で反転して追ってくる機体をアサルトライフルで射撃した。爆炎が五つ連続して瞬く。
着地するなり、瓦礫の陰から陰へと飛び移った。その合間を狙って少女が射撃してくるが、秋人は毎回飛び出すタイミングを絶妙に変えてこれを回避する。
「大量のドローンを突っ込ませて、回避したところをライトマシンガンで仕留める──見飽きたぞそのパターン!」
「接近戦しか知らないどこかの能無しがひたすら逃げ回るからじゃない!」
「そうでもしないとあんたのスウォーム、突破できないんだよ! あんたも兵士なら、たまには銃一丁でかかって来たらどうなんだ!」
「同じ言葉を返してあげる。──あなたも兵士なら、ドローンの一機くらい並列演算で操作してみたら?」
追従してきた少女が秋人と横並びになると、激しい弾丸の応酬を繰り広げる。
その中で、少女が瓦礫に躓き体勢を崩す。
「きゃ──っ!」
その瞬間を見逃す秋人ではなかった。
ライフルを構える。照準器のレティクルに小さな頭が重なる。
そして人差し指をかけたトリガーが加重され──
蒼の瞳と視線がぶつかった。
「────」
指が硬直する。呼吸を忘れる。
秋人は自分の表情が強張るのを感じた。
そうして生まれた刹那に、少女が体勢を持ち直す。
向けられるのは、ライトマシンガンの昏い銃口。
次の瞬間、秋人の身体に七・六二ミリ弾が三発撃ち込まれた。続けて、背後から迫った自爆ドローンの爆風でビルの壁に叩きつけられる。
「が……っ!!」
赤色を散らしながら地面に落ちると、最後に秋人は血の塊を吐き出した。
すると、白のスーツに包まれた細い脚が視界に現れて目の前で止まる。
顔をあげると、《致死の蒼》が両目を吊り上げて秋人を見下ろしていた。
「《血も無き兵》とは皮肉ね。誰よりも血まみれなんだから」
「……これだけ血抜きされていたら、その名前もあながち間違いじゃないかもしれない」
少女はつまらなそうに鼻を鳴らし、ギロリと音がしそうなほど睨みを利かせる。
「さっきはどうして撃たなかったの」
「……なんのことだ」
そうとぼける秋人の言葉に少女は嘆息して、ライトマシンガンを構える。
真っ暗な銃口が秋人の目の前に浮かんでいた。
「……あなたが何を考えているのか知ったことじゃないけど、ああいうことされると腹が立つの」
「弾詰まりしたんだよ」
「冗談」
銃口が揺れる。
「──撃てない弱者は戦場から消えて」
言葉とともに、少女は躊躇い無くトリガーを引き絞った。
遅延した世界でマズルフラッシュが瞬き、バレルから吐き出された弾頭が眼前に迫る。
そして螺旋を描く涙滴型の弾丸は、秋人の頭部へと達し──。
『警告:マインドステート同期率……九四・八パーセント』
死の直前、秋人の視界に深紅のアラートウィンドウが無数に展開された。
それとほぼ同時、数値が一〇〇パーセントへと達し視界が暗転。秋人は己の死を理解する。
それから記憶変数体という圧縮された秋人の記憶データが、戦場に張り巡らされた通信素子帯を介して、二キロメートル上空を飛行する戦術降下艇へと転送された。
戦術降下艇の中に並べられた円筒状のポッドの一つが鈍い唸り声をあげ始める。
インジケーターの色が赤から緑に変わり、ポッド内部でフラフープに似た金属製のリングが天井からゆっくりと下降し始めた。
その動きに合わせてリングの中央から人間の頭部が紫電を伴って形作られていく。黒の毛髪が、白の肌が、首のチョーカーが、そしてその身体を包むタクティカルスーツが次々と印刷されていく。
そうして現れたのは、秋人のクローンだった。
ものの三秒で上半身の出力が終わり、下半身の印刷が進む途中で心臓が動き出す。
そして、生を受けたばかりのクローンの脳に、転送された記憶データが書き込まれた。
──直後、覚醒。
「……ハッ!」
悪夢からの目覚めのように、秋人は身震いと同時に瞼を持ち上げる。睫毛の先から乾いた肉片がパラパラと落ちた。
死と再生を一気に乗り越えたことでアドレナリンが全身を巡り、荒い呼吸を繰り返す。瞳孔が開いているのか視界がチカチカと眩しかった。
目の前にあったのは無機質なポッドの床と、だらりと下がる自分の両腕。
鼻を擦ると、生体印刷特有の肉の焦げた匂いが粘膜を刺激する。
遅れて下半身の出力も終わると、秋人は身体の至る所から伸びたサポート材を剝がした。
手を握り、そして開く。健康な肉体そのものだ。
死の直前までに全身に開いた風穴などどこにもない。
戦闘服も下したてのように綺麗で、まだ一発も減っていないマガジンの差さるベルトがどっしりと重かった。背中のマウントに収まるアサルトライフル〈MAR−16〉を手に取ると、出荷時と同様の鈍い光を照り返している。
しかし、それまでにあった激痛の数々は幻肢痛となり秋人の脳を蝕む。
特に直前に撃ち抜かれた眉間に激痛が走り、秋人は指で摩った。
「い……つぅ。あいつ、今日は特別機嫌が悪いな」
そして、秋人の脳に癒着したナノマシン〈ニューラルゲート〉が起動し、軍の基幹システム──戦略統合システムに接続する。
同時に、視界に無数の仮想ウィンドウが合成表示された。戦場の立体図やバイタルサイン、装備している銃火器の残弾数や装甲の耐久値などが次々に映し出されていく。
すると、一つの音声が鳴った。
『ARCADIA is Online』
女性の機械音声が流暢に読み上げる。
アルカディア──それは人に死を回避する力を与える全能のシステム。アルカディアに接続してさえいれば、たとえ火の中、水の中どこであろうとも、死と同時にその人の魂を救い出してくれる──そんな夢のシステムである。
ただし、それは夢のようでいて、その実は悪夢の類かもしれない。
なにせ戦場に斃れ再生されたところで、その爪先が向かうのもまた戦場なのだから。
──撃てない弱者は戦場から消えて。
《致死の蒼》が最後に放った言葉が頭の中でこだまする。
秋人は顔を歪めた。
いくら死を回避できるからと言って、その痛みや苦しみまでが消えるわけではない。それは仲間たちや秋人自身だけではない。敵側も同じである。その理不尽な暴力までも正当化していいのだろうか。そんな疑問が胸の内に黒ずんだ油のようにこびりつく。
それでも秋人は戦わなければならない。戦場に立たなくてはならない。
なぜなら秋人は、部隊を率いる小隊長なのだから。
「──クソッ」
秋人は鋭く息を吸って意識を切り替えると、頭上に跳ね上がっていたハッチの取手を握り、勢いよく下ろす。
「ライガー1、降下準備完了!」
圧縮された空気が漏れ出す音とともにハッチが内部でロックされる。その閉塞感が秋人の中に緊張を生み出した。
それから両手で衝撃に耐えるための支え棒を握るや否や、装甲板の外で輸送機との連結が解除される重厚な鉄の音が響いた。
直後、秋人の全身を浮遊感が襲う。
間髪容れずに、ポッド上部のスラスターが作動し、ただの浮遊感にとどまっていた感覚はレッドアウト直前の強力なマイナスGへと変貌した。
体感で何時間にも感じる時を歯を食いしばって耐えると、今度はスラスターが地上に向けて逆噴射し、決して穏やかではない衝撃とともに着陸した。
『タッチダウン、誤差W1・5/E4。作戦続行可能範囲です』
ぐちゃぐちゃに狂わされた三半規管と足元の感覚を、ぎゅっと目を瞑って戻す。
「……ハッチ、解放」
『了解』
機械音声が応えるなり、眼前のハッチが爆音を伴って前方に射出された。
秋人は〈MAR−16〉を摑むと、降下ポッドから飛び出す。
そこは既に数刻前までいた埃臭い戦場で、人と金属の悲鳴で作られたカオスが視界いっぱいに広がった。至る所から銃声と爆音が上がって、空から次々に新しい兵士を乗せたポッドが降り注いでいる。
秋人は敵側からの射線を切りながら前進した。
すると、崩落した高層ビルの残骸の上から見知った顔が二つ現れる。
「アキ、おっそーい! あの雌猫との戦闘に時間かけすぎ! 《致死の蒼》が綺麗な顔してるからって、手を抜いてんじゃないの!?」
「遅えぞ秋人! さっきから玲奈がイライラしてて俺らがとばっちり喰らってンだ!」
それは黄金の髪を洒落っ気たっぷりにアレンジした少女と、燃えるような赤髪が特徴的な男。
二人の名は天代玲奈と、葉木遼太郎。
どちらも秋人の率いる第一小隊の隊員であり、生まれてからこれまでの十六年間、ともに過ごした友である。
秋人は腰のジェットキットを吹かして、十メートル強ある瓦礫の山を駆け上がる。そして上から差し出された玲奈の手を摑み、一気に登り切った。
秋人は一瞬の間を置くと、いつもの笑みを顔に張り付ける。
「なんだ、玲奈。また糖分取りすぎか?」
「玲奈は《致死の蒼》に秋人取られて嫉妬してンだよなー?」
遼太郎がそう茶化すと、玲奈が顔を真っ赤にした。
「ち、ちちち、違うし! ちょっとリョウ、適当なこと言わないでよ!」
「やめっ、やめろって、銃口をこっちに向けんじゃねえッ!」
秋人は悲鳴を上げる遼太郎を尻目に嘆息すると、戦場に響き渡る銃声に負けじと声を張る。
「それで玲奈、状況は!?」
玲奈はむーっと秋人を睨んだ末に、言葉の調子を真面目なそれに変えた。
「三四〇の方向から歩兵にめっちゃ押されてる! 第二小隊の複体再生が全然間に合ってないっぽい!」
「第二小隊のところには俺がカバーに入る! 玲奈と遼太郎は北側から戦線を押し返してくれ! とにかく隊のみんなには自律兵器を壊して確実に評点を稼がせるんだ! 対人戦は避けさせろ!」
「わかった! アキこそ、今日これ以上《致死の蒼》とやり合ったらダメだからね! ライガー隊の中で評点一番ヤバイのアキなんだから!」
「やっと攻勢に回れるぜえ!」
そう言って玲奈は二丁のサブマシンガンを、遼太郎はドラムマガジン式のショットガンをそれぞれ抱えて、瓦礫の山を飛び下りる。
その背中を追いながら、秋人は眼下に広がる戦場を見渡した。
黒煙を噴き上げるビル群の合間を縫うようにして、ドローン群と小型高機動ミサイルとがもつれ合いながら激しいドッグファイト繰り広げていく。その下を八メートル級の二足歩行兵器──戦略外骨格が、イージス戦車の隊列を吹き飛ばして防衛線に攻勢を仕掛けていた。
辺りに満ちる噎せ返るほどの血と硝煙の匂いが、ここが戦場であることを証明する。
その戦場の奥に白銀の光を見た。
彼女だ、と秋人はすぐに分かった。その兵士は鋼鉄の花弁のように展開させたドローン群を操って、銃撃の雨を受け止めながら戦線を切り拓いている。
その時、少女の蒼と視線がぶつかった。
「────」
心音が不規則に脈打つのを感じる。
秋人は目をきつく瞑って自分を落ち着かせる。心の波を消す。そうして胸の内が凪いでいく。
次に瞼を持ち上げた時には、秋人の顔は兵士のそれになっていた。
そして、通信に念じた声を乗せる。
『──ライガー1より統合本部。これより戦線に合流する』
『本部了解』
通信の声を聞くなり、秋人はライフルのチャージングハンドルを引いて初弾を装塡した。
ここは廃骸都市、嶺京。
エルメア合衆国とローレリア連邦の繰り広げる二国間大戦の最前線。
一之瀬秋人は、そのエルメア陸軍嶺京前哨基地・第一小隊の隊長だった。