第五章 最後の宴とあらたなる日々のはじまり③


◆◆◆


 シジスモンの午後は、おだやかに過ぎていった。

 春は過ぎ、若葉のまぶしい初夏しょかである。先日まで滞在たいざいしていたグリンヒルデはまだようやく春にまりはじめたばかりだったのに、時のたつのは早いものだ。

 グリンヒルデから戻ってきて、そろそろ一ヶ月がとうとしていた。今日もミレーユは以前と同じく、店先にこしかけて番をしている。

 突然の外出と長の留守るすを、母は別段なにもとがめなかった。祖父そふから事情を聞いていたらしい。しかし無残むざん短髪たんぱつになって戻ってきたむすめをみるとさすがに殺気立ち、送ってきたエドゥアルトはさんざんにしぼられていた。さぞ落ち込んでいるだろうと後でなぐさめに行ってみたところ、数年ぶりにジュリアが口をきいてくれたとえらく感激かんげきしていたのでそのままにしておいた。

 そのエドゥアルトがしぶしぶベルンハルトへ帰ってしまうと、何事もなかったかのような日々が戻ってきた。本当に拍子ひょうし抜けするくらいに、あっさりと。

 スカーフでかくした、短くなった髪。変わったのはそれぐらいだ。今こうして店先の椅子いすに座り、ぼんやりと頰杖ほおづえをついていると、グリンヒルデでの毎日が夢だったのではないかと思えてくる。

(──ほんとに、夢だったのかも)

 男の恰好かっこうをするのも、貴族の息子むすことして王宮へあがるのも、陰謀いんぼうに巻き込まれてあぶない目にあうのも、夢の世界でなければ味わうことのない経験だ。

 そして──すてきな騎士きしと、ダンスを踊るのも。

 リヒャルトに会ったのは、あの舞踏会ぶとうかいの夜が最後だった。あれきり、きっともう会うことなんてないのだろう。

 ふいにひびいたベルの音でミレーユは現実に引き戻された。

 見ると、とびらを開けて、郵便屋ゆうびんやのおじさんが入ってくるところだった。

「やあミレーユ。調子はどうだい?」

「ありがとう、上々よ。手紙?」

「きみてだよ。アルテマリスから」

「えっ」

 渡された封筒ふうとうを裏返してみると見慣れたフレッドのサインがしてある。

 おじさんが出て行くのを見届けて、ミレーユはせかせかとふうを切った。


『親愛なる妹へ


 やあ、ミレーユ。元気かい?

 このあいだは散々なことにき込んでしまって、すまなかったね。少しは落ち着いたかな?

 ところでミレーユ。ここできみにひとつお知らせがあります。

 兄は今から、傷心しょうしん旅行に出ることにしました。

 きみも知ってのとおり、兄は命をかけた恋にやぶれ、聞きたくもないのろけ話を強制的に聞かされるという、まことにかわいそうな毎日を送っています。

 こんな生活もう耐えられない。ここはひとつ大海原おおうなばらへ出て、水平線にしずむ太陽にたそがれてこようと思う。

 つきましては、ぼくがいなくなるのは困るので、きみ、もう一回グリンヒルデに来て身代わりをやってください。

 もちろん断ったりなんてしないよね。きみはだれよりぼくの気持ちをわかってくれてるはずだもんね。

 そう長く留守にするつもりはないから、ご心配なく。同じ顔の妹がいるとなにかと便利べんりだなあと、兄はほくほく喜んでいます。

 それでは、留守中くれぐれもよろしく。この手紙がつくころにむかえの人間がやってくると思うから。


きみの永遠の兄 フレデリックより 


 追伸ついしん

 おみやげは東洋の大亀おおがめ甲羅こうらを買うつもりです。貧乳ひんにゅうくそうなので、お楽しみに。


 さらに追伸

 リヒャルトといちゃつくのはひかえ目にね。一応ぼくの身代わりなんだし、みょううわさがたっても困るからさ』



「……な……」

 他にもいろいろ言いたいことはあったが、とりあえず乙女おとめ心を深くえぐった事項じこうについてミレーユはさけんだ。

「なによ貧乳ってえぇっっ!!」

 それからぐったりと商品だなにつっぷした。

(なんなの……なんなのよこのふざけた手紙は……っっ)

 巻き込んですまなかったと、そのしたの根もかわかぬうちに、もう一回身代わりをやれという。どういう神経をしているのだ。そして太陽にたそがれるという行為になんの意味があるというのか。

(あのバカ、ほんとりないわね。毎回毎回アホな手紙送りつけてきて……)

 リディエンヌに失恋したことは同情するし、くだらない文面は本心を隠しているだけなのかもしれないとは思う。──けれど。

 まず間違いない。十中八九じゅっちゅうはっく、これはひまつぶしに書かれたものだ。長いつきあいの双子ふたごの妹をなめてもらってはこまる。

 ミレーユはぽいと手紙を投げ捨てると、なんとなく入り口の扉に目をやった。

(そりゃあね……いやな思いもいっぱいしたし、こわい目にもあったけど)

 正直なところ、あの日々が楽しくなかったと言ったらうそになる。くやしいけれど──ちょっぴりなつかしくさえ、ある。

 でももう、戻ることはない場所だ。もともとが別世界のお話だったのだ。

(あたしにはもう関係ないのよ。永遠に……)


 カランコロン──と入り口のベルが鳴った。


 扉を見つめていた目が大きく見開かれる。ミレーユは椅子を蹴倒けたおして立ち上がり、そのまま棒立ぼうだちになった。

 長身の青年は、あの日と同じように、少し身をかがめるようにしながら入ってきた。

 今はもう見知らぬ他人ではなくなった彼は、ほうけたように突っ立っているミレーユにどこか申しわけなさそうに微笑ほほえんで、言った。

「すみません。上官命令でお迎えにきました。──ひきつづき護衛ごえいをしろということで」

「…………」



 身代わり伯爵はくしゃく冒険ぼうけんは、まだ終わりそうにない。

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