二章 常夜桜⑥

 玖遠と共に歩いていると木々の間に屋敷の屋根が見え始め、沙夜はあんの息をいた。

「玖遠様、屋敷まで案内して下さり、ありがとうございました」

「このくらい構わないよ。それに結果的には沙夜と散策する約束を果たせたからね」

 すると、屋敷の方から声がひびいた。

「うわぁぁんっ! 沙夜さまぁぁ!」

 こちらに走ってくるのは白い毛並みの細身のきつねだった。白い狐はそのまま、ぽふんっと沙夜の胸へと飛び込んでくる。

 沙夜が玖遠の方に視線を向ければ、彼は仕方なさそうにかたすくめていた。

へんようじゆつの一つだからね。心が激しく乱れれば、解けてしまうんだ」

 つまり、この狐こそが白雪の本来の姿なのだろう。

「おそばを離れて、申し訳ございませんでしたぁ! 山菜採りに夢中で、つい目を離してしまいましたっ……!」

 丸いやまぶきいろの瞳からは、ぽろぽろとなみだこぼれていた。沙夜が山の中で迷子になったことは、決して白雪のせいではないというのに、きっとたくさん心配してくれたのだろう。

 ……何故なぜかしら。胸の奥がじんわりと温かな心地がする……。

 沙夜はやさしい手付きで白雪をめた。

「心配してくれて、ありがとう。……玖遠様がすぐに見つけてくれたから、だいじようよ」

 ひそかにさわりたいと思っていた白雪の耳はふわふわしていて、触り心地が良かった。

「──全く! 人間ごときが玖遠様にめいわくをかけるなど!」

 白雪が走ってきた後方から、げんさをかくすことなくやって来たのは八雲だった。

「白雪、君もだ! 食べ物に関することに夢中になると周りが見えなくなるからな!」

「ひゃぅ……。おつしやる通りです……。すみません……」

 八雲の𠮟しつせきに、沙夜のうでの中の白雪はさら身体からだを縮めた。

「そんなにおこらなくても良いだろう、八雲。俺は別に迷惑をかけられたなんて、思っていないし。……でも、白雪は今後、注意すること。沙夜の傍から離れないようにしろよ?」

「うぅっ……。以後、気を付けます……」

「玖遠様はその人間に対して、甘過ぎるのです! 付け上がりますよ!」

「構わないよ。……まぁ、本音を言えば、沙夜には好きなだけ、甘えて欲しいけどね」

 にこりと玖遠は笑いかけてくるが、沙夜はあいまいな表情を返すしかなかった。甘える、ということがどのようなことなのか、あまり分からなかったからだ。

「でも、沙夜様が本当にご無事で良かったぁ……。……あれ? かみに花びらが……」

 白雪のてきを受け、玖遠がすぐに沙夜の髪に引っかっていたうすべにいろの花びらを取ってくれた。

「もしや人間、常夜桜をねらって……!」

 み付きそうな勢いで八雲がえるも、玖遠はあきれたように肩を竦めた。

「こら、八雲。そうやって、すぐに決めつけるくせは直した方がいいんじゃないか? ……沙夜はただ迷って、辿たどり着いた先が常夜桜だっただけだ」

「なっ、玖遠様はその人間を信じ過ぎです!」

「えぇっ! 常夜桜の方に行っていたんですか! 沙夜様も玖遠様から常夜桜には近付かないように言われていると思って、別の場所でさがしていました……」

 八雲に重ねるように白雪は声を上げる。彼女の言葉に沙夜は首をかしげた。

 ……常夜桜は妖にとって妖力の源になるものだと玖遠様は言っていたけれど……。

 妖も近付いてはいけないのかと疑問に思っていると、玖遠が会話をさえぎった。

「……白雪。沙夜も長い時間歩いてのどかわいているだろうから、松の葉で茶をれてやってくれないか」

 いたわりの言葉をかけられたはずなのに、何かが区切られたように感じた。

「はいっ、かしこまりました! 沙夜様、いつしよくりやへ行きましょう!」

「え、ええ……」

 白雪は沙夜の腕からぴょんと飛ぶようにしながら地面へと着地し、厨へ行こうとうながしてくる。玖遠の方へとり返れば、彼は肩を竦めて沙夜を見送っていた。

「一緒に茶を飲みたいところだけれど、まだ仕事が残っているから、同席出来ないんだ。──八雲。便りの返事を書くから、銀竹に届けるようにたのんでくれないか」

「分かりました」

「──あれっ。沙夜様? どうしましたかー?」

 気付けば、白雪は先へと進んでいた。

「あ……。今、行くわ」

 そう答えつつも、沙夜はもやがかかったここがしてならなかった。

 頭の中に刻まれたのは、二つの言葉。

 ……きよむねという人が言っていた「いとし子」……。そして、常夜桜が私を指して言った「りゆうけつ」……。

 何故か気になって仕方がない。本当に全く関係がない言葉なのだろうか。

 ……玖遠様は何か知っているようだったけれど……。

 だが、玖遠にたずねても答えてくれる気がしなかった。何故なら先程、常夜桜の話をした際に、はぐらかされたように感じたからだ。

 ……いつかまた、機会があれば聞いてみよう……。

 でなければ、心の内でうずくものがしずまる気がしない。

 玖遠の態度を疑問に思いつつも、沙夜は白雪の後を付いて行った。


    ● ● ●


 人間の姿に再び変化した白雪に案内され、沙夜は初めて厨の中へと入った。

 しかし、そこには先客がいた。

「……いやだわ。こんなところにまで人間が入ってくるなんて」

 そう告げたのは、先日沙夜に冷たい視線を投げかけていた風香だった。どうやら、沙夜達と同じように飲み物をもらいに来たらしく、その手にはわんにぎられていた。

「むっ! 風香さん、どうしてそんな言い方をするんですか? たとえ人間でも、沙夜様は玖遠様が選んだ方ですよ」

 白雪が自分のことのように胸を張って反論すると、風香は顔をぐしゃりとしかめた。

「だって、私は認めていないもの。……全く、頭領様もどうしてこんな方をめとったのか、理解出来ないわ」

「……あの、風香さん」

 沙夜をけんしているのは分かるが、少しだけでもきよを縮めることが出来ないかと思い、勇気を振りしぼって声をかけてみる。

 風香が話しかけるなと言わんばかりににらんできたため、沙夜は口をつぐむしかなかった。彼女はしゆくする沙夜を鼻で笑い、厨から出て行った。

「……沙夜様! 気にしなくていいですからね!」

 白雪はほおをぷくっとふくらませながら、お茶を淹れるためにそでまくり上げていた。

「風香さん、きっとしつしているんです。……本人は口にしていませんが、玖遠様に気があるようなりを見せていたので……」

 つまり、自分は風香にとってにくらしい相手、ということだろうか。

「そうだったの……。それなら、きっと私のことがおきらいでしょうね……」

「……八つ当たりみたいなことが何度も起きるようでしたら、私から玖遠様に一言、お伝えしておきますよ?」

「ううん、いいのよ。……仕方がないことだもの」

 沙夜は白雪に言葉を返したが、最後の一言だけは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

 白雪は手慣れたように、大きなみずがめからしやくで水をすくって、空いていたなべへと注いだ。かまどの火はすでにいているようで、鍋の中の水を少しずつ温め始める。

「そういえば、お身体は大丈夫でしたか? とこざくらに近付いてしまったようですが……」

 白雪は沙夜が迷子になったことをまだ気にしているのか、うかがうように訊ねてくる。

「玖遠様が近付く前に止めてくれたから、大丈夫よ」

 そう答えつつも、沙夜はふと気になったことが頭をぎってしまう。

「……ねぇ、白雪。常夜桜は植物型の妖だと聞いたけれど、ほかの妖と同じように言葉を話すの?」

 玖遠からは「呼ばれた」ことは二人だけの秘密だと言われたが、常夜桜について訊ねてはいけないとは言われていない。沙夜自身もきよぼくが言葉を話すことにはかい的だったが、それを玖遠には訊ねられず、あの声の主が常夜桜だったのかはかくにん出来ないままだ。

「えっ、常夜桜ですか? うーん……。そのような話は聞いたことはありませんねぇ」

 白雪の反応を見るに、常夜桜は言葉を話さない存在として妖達の間では認識されているのだろうと察した。

 ……それなら、あの声は私だけに聞こえたものだったのかしら……?

 だが、いだいた疑問を口に出すことは出来ず、靄がかかった心地がしてしまう。

「それに不用意に近付いて、常夜桜の下に流れているりゆうみやくを乱すわけにはいかないので、玖遠様からは常々、近付かないようにと言われているんです。何せ、常夜桜は龍脈の上でしか、きませんから」

「だから、配下の妖も常夜桜には近付かないようにしているのね……。……でも、『龍脈』……って、どんなもの? 目にえるの?」

 初めて聞く言葉に沙夜が首を傾げると、白雪は頬に人差し指を当てつつ答えた。

「うーん、私達の目には視えないものですね。ええっと、話をすると長くなるのですが、龍脈を生み出しているのは、大地の奥底にねむっていると言われているりゆうじんなんです」

「あ、龍神についてならば、聞いたことがあるわ。この国の守護神のことでしょう?」

 幼いころとぎばなしとして教えてくれたものだが、今もあやふやながら覚えている。

 はるか昔、国生みの時代、自然の力が集まって生まれた「龍神」と「じやしん」が戦った話だ。龍神は地上の生命あるものを守るために、邪神はすべての生命を一度かいくして国生みをやり直すために戦ったという内容だ。邪神との戦いによって傷付き、つかれた龍神は今も大地の底で眠っていると言い伝えられている。

「そうです、その龍神です。何故なぜ、この龍神が今も守護神と呼ばれているのかと言うと、龍神の身体からだからもたらされるおんけいの経路こそが龍脈と呼ばれるものだからです」

 白雪は説明しつつ、いつの間にか用意していた松の葉をいたお湯の中へと入れた。

「人間も妖も、この龍脈を使って、栄えてきたと言われています。なので、常夜桜がある場所に限らず、龍脈が通っている土地をなわりにしている妖は多いんですよ。まぁ、その場所をめぐってり合いもあるようですが」

「龍脈は視えないのに、地面の下に通っているって分かるものなの?」

「ええ。龍脈が通っている土地は、他の場所と比べると冬でも実りが豊かですから。……例えばですが、このしきの下にも龍脈が通っているそうなので、畑の作物はれることなく順調に育ちますし、山の中で採れる山菜もすぐに次の芽が生えてくるんですよ」

 どうやら、この土地はとても特別な場所だったらしい。

くわしいのね。おかげで常夜桜だけじゃなく、龍脈についてもとても勉強になったわ」

 沙夜がなおめると、白雪は胸を張りつつ得意げに答えた。

「妖ならば、これくらいは常識ですよぉ。……本当は八雲さんに教えて頂きましたが」

 白雪の最後の一言は聞かなかったことにしてあげた。

「……あ、白雪。んできたよもぎはどこに置いたらいいかしら」

 沙夜はたもとに入れていた蓬を取り出しつつ、訊ねる。

「このたけかごに入れておいて下さい。……ふふっ、今日のゆうは山菜くしですね!」

 まだ昼前だというのに夕餉に期待している白雪を、沙夜は微笑ほほえましそうにながめた。

 そして、白雪に気付かれないように沙夜は静かにためいきく。

 ……どうして、あの常夜桜は私を呼んだのかしら。常夜桜と話をしてみたいけれど、玖遠様からは近付いてはいけないと言われているし……。

 沙夜はかんだ疑問を胸の奥に押し込めるしかなかった。


    ● ● ●


 信じたくはなかった。彼が人間を娶るなど、きっと気の迷いだと思っていた。

 見た目は冷たそうに見えるが、他の妖の頭領とちがって、玖遠は打算などなく、弱い相手に手を差しべてくれる心やさしい性格だ。

 自分も昔、がけから落ちてをして動けなくなっているところを玖遠に助けられた。それ以降、ようりよくの強さなどを見込まれて、彼の腹心として仕えていたが、しばらくしてその座に収まったのはようの八雲だ。

 本音では居場所をうばわれたようで腹立たしかったが、自分だけが彼にとっての特別ではないことは分かり切っていた。ただ、彼は妖や常夜桜のことを常に考えているだけだ。責任感のあるたのもしい頭領のことをほこらしいとさえ思っていた。

 だから、玖遠が人間を娶ったと聞いた時、何のじようだんかと鼻で笑った。

 それなのに玖遠はきるどころか、いとおしくて仕方がないと言わんばかりの表情をあの人間のむすめに向けるのだ。自分は、そんなみを向けられたことは一度もないのに。

 心の底からき上がってくる憎らしさを何とかせいぎよしつつも、顔を顰めた。

「──あの人間の娘が『りゆうけつ』? にわかには信じがたい話ですが……」

 つい、いつものくせで気配を消しながら屋敷の中を歩いていた時だ。

 頭領の部屋から聞こえてきたのは八雲の声だった。耳が良い自分は距離があってもその声や話している内容がはっきりと聞こえた。

「沙夜は確かに『呼ばれた』と言っていた。俺達、妖には全く聞こえないが、伝承によると神子は常夜桜の声を聞き取ることが出来るらしい」

 八雲の声に言葉を返したのは玖遠だ。

 気配を消している最中は妖術を使わない限り、だれにも見つからないと自負しているが、「龍穴の神子」という言葉を聞いた時は、のどの奥から声が出そうになった。

「……玖遠様がそう言うならば、信じましょう。ですが、他の者には伝えない方がいいかと。年若い妖達は神子について知らない者が多いですし、知っている者からすれば……余計な争いを生みかねませんよ」

「ああ、分かっている。だから、お前だけに話しているんだ。……俺の妖力をまとわせているとは言え、沙夜は生身の人間だ。害意を向けてくる者がいないとは限らないからな」

「それで守護領域の結界をさらに強化する、と」

「念のためにな。それと人間をうような妖が守護領域内を通る時があれば、俺に伝えて欲しい」

「守護領域内の妖の移動は基本的に自由ですからね……。じゆんかいを担当する者に伝えておきます」

 その密かなやり取りは自分にとって、しようげき的なものだった。玖遠の言葉はまるで、彼女だけが「特別」だと言っているように聞こえたからだ。今まで、玖遠が「個人」を特別あつかいしたことはなかった。いつだって彼は妖達を平等に──。

 そこで、気付いてしまう。あの小娘がこれまでの玖遠を変えてしまっていることに。

 ……神子。龍穴の、神子。あのにくらしい、小娘が……。

 自分は伝承のたぐいとしてその存在を知っている。確か、過去には神子を巡る争いがあったはずだ。人間同士だけでなく、妖同士でも行われた血なまぐさい争いが。

 ……あの小娘はきっと、玖遠様にとって「害」になる。

 ならば、玖遠の配下である自分は彼女をはいじよしなければならない。そう決意したしゆんかんまり続けていたどろどろとした感情が、身体の細部にまで伝わっていく。

 これは玖遠のためだ。きっと、玖遠にとっての悪い芽を摘み取れば、彼も自分のことを見直し、再びそばに置いてくれるようになるはずだ。

 そう思い至った風香は、にぃっと口元をゆがめた。



  ◆ ◆ ◆


続きは本編でお楽しみください。

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