二章 常夜桜⑤

 それからしばらく、二人であちらこちらを歩いては春の山菜を採って行った。休み休み採取していたので、気が付いた時には日が高くなっていた。

「ふぅ……」

 沙夜は小さく息を吐きながら、立ち上がる。かがんでは立ち上がることをり返していたので、少し腰が痛くなってしまった。

「白雪、このよもぎも竹籠に入れてくれる? ……白雪?」

 沙夜は蓬を手にしたまま、周囲を見回した。さきほどまですぐそばに竹籠を抱えた白雪がいたはずだが、姿が見えない。

「あら……? ……白雪、どこに行ったの?」

 声を大きくしながら名前を呼んでも近くにはいないのか、白雪からの返事はない。

「……もしかして山菜を採るのに夢中になっていて、白雪とはぐれてしまったのかしら」

 初めて山に入った沙夜にとっては周囲を見ても同じ景色にしか見えない。木々にさえぎられているので遠くを見通すことも出来ず、屋敷がある方向さえ分からなかった。

「どうしよう……迷子になるなんて……」

 とりあえず、沙夜は蓬を自身の衣のたもとに入れておくことにした。

 きっと自分が近くにいないと知れば、白雪はおどろき、心配するだろう。しかし、下手へたに動いて、山の中でさらに迷子になるような事態だけはけたい。

 それまでは白雪と楽しく山菜採りをしていたので気付かなかったが、山の中に一人でいるのは思っているよりも怖い。自分の声がはんきようするだけで、あとはすべて自然の音だ。がさがさと草を揺らす音が聞こえるたびに、沙夜の心には不安がちくせきされていく。

『──よ』

 ふと、声が聞こえた気がして、沙夜は思わず顔を上げた。白雪が自分を呼んでいるのだろうかと思い、耳を澄ませた。

よ。神子よ。尊きりゆうの、いとしき者よ。こちらへ……こちらへ……』

「えっ?」

 沙夜が周囲を見回しても、声の主らしき姿は見当たらない。

 ……でも、声がする方向がどちらからなのかは分かるわ……。

『こちらへ……』

 こわいろからでは男なのか女なのか分からないが、その声音は友に呼びかけるようにおだやかだった。そのせいなのか、怖いという感情は出てこなかった。

 ……この声を聞いていると、何故なぜか……なつかしい気持ちになってしまう。

 自身を呼ぶ声の主が気になった沙夜は、そちらへと足を向ける。歩みを進めるたびに、空気が変わっていくのがはだで感じられた。

 ……やわらかくて、温かな空気が流れてくる。この感じ、どこかで……。

 それは玖遠のようりよくまとった時に感じた、頭がぼんやりとしてくるぬくもりに似ていた。

 小さな風がき、木々の間をうすべにいろの何かがすりけていく。歩んでいるけものみちの先は開けた場所になっており、沙夜は木々のすきのぞくように視線を向けた。

「わぁ……」

 視線の先にたたずんでいるものに、沙夜のひとみくぎけとなった。たたみが横に二枚並んだ程に太い幹のきよぼくがそこには立っており、枝にはあわく発光している薄紅色の花がいていた。

『龍の神が愛おしむ者……りゆうけつよ……。久方ぶりの訪問、大変良きことなり……』

 その言葉を聞いた沙夜は、先日「いとし子」と呼ばれたことを思い出し、ほんの少し胸がざわついてしまう。だが、今それよりも気になるのは自分を呼んだ相手のことだ。

 どうやら、声の主はこの巨木のようだ。いくら沙夜が世間知らずでもつうの木が言葉を話さないことぐらい知っている。どうしてこの巨木は沙夜を懐かしそうに呼ぶのだろう。

 ……でも、龍穴の神子って……何かしら。

 それが何を意味しているのかは分からないが、そんなことよりもこの美しい景色を間近でながめたいと思った沙夜は一歩、巨木へと近付いた。

 はらり、はらりと薄紅色の花びらが散っていく様は沙夜を招いているようにも見えた。

 ……れい……。

 まるで引き寄せられるように無意識にもう一歩、前へと進んだ時だった。

「──それ以上、進んだらだよ」

 耳元でささやく声と共に、沙夜の身体からだは動けなくなってしまう。

 はっとして、小さくり返れば、そこには自分をめる玖遠がいた。引き留めるように腹部にうでが回されており、沙夜のかたは玖遠の右手によってつかまれていた。

「く、玖遠様っ?」

 とつぜん、顔が近くなったことで、心臓がね上がってしまう。

「な、何故、ここへ……?」

「君をさがしに来たんだよ。……仕事が終わってしきもどれば、血相を変えた白雪が走ってきて、沙夜を見失ったって言うから、君に纏わせた俺の妖力を辿たどって来たんだ。……まぁ、こんなところにいるとは思わなかったけれど、何とか間に合ったようだね」

「間に合う、とは……どういうことですか?」

「ここから数歩先には強固な結界が張ってあるんだ。しんにゆうを試みる者にこうげきを仕掛ける術をほどこしているから、沙夜がこの先に進まなくて本当に良かった……。……それにしても、こんな山奥まで道に迷わずによく来られたね」

 玖遠は心底不思議に思っているのか、首をかしげている。

「えっと、その……何故なのか分からないのですが、身体が引き寄せられるここがしたんです。それと私を呼んでいるような声が聞こえて……」

「……声?」

「はい。……まるで、私のおとずれをかんげいするように、何度も『神子』、と……いえ、『龍穴の神子』と呼んでいました。その声につられるように歩き進めていたら、いつの間にかこの場所に辿り着いていたんです」

 素直に沙夜は答えたが、改めて不思議なこともあるものだと思い返した。

 しかし、目の前の玖遠の表情がいつしゆんだけこわったのを、沙夜はのがさなかった。

「玖遠様?」

 玖遠は沙夜からはなした右手で口元をおおい、何か難しいことを考えているような表情をかべていた。

「……沙夜。『呼ばれた』ことはだれにも話してはいけないよ」

「え? ですが……」

 言葉を続ける前に、玖遠の右手の人差し指がぴたりと沙夜のくちびるへとえられたため、それ以上は話すことが出来なくなってしまう。

「二人だけの秘密。……ね?」

 玖遠から向けられるしようを真正面から受けた沙夜は、口の中が甘いもので満たされたような心地になった。そのまま直視することは出来ず、こくりとうなずき返せば、唇に添えられていた指先はやっと離れていった。どうやら沙夜の返答に満足してくれたらしい。

 ……でも、何故かしら。玖遠様の表情が、それ以上は聞かないで欲しいと言っているみたいに見えたわ……。

 気のせいだとは思えなかったが、沙夜はそれ以上問いかけることが出来なかった。

「それじゃあ、屋敷に戻ろうか。白雪も君の帰りを待っているだろうし」

 白雪の名を聞いて、沙夜は彼女のことをはっと思い出した。

「……あの、迷子になってしまって、申し訳ございませんでした。ですが、白雪をどうか、𠮟しからないで下さい……っ。私がつい山菜採りに夢中になって、白雪から離れてしまったのが悪いのです……」

 後で白雪に謝らなければと思い、沙夜が身体を縮めていると、玖遠がぽんっと背中を軽くたたいてくる。

「沙夜が無事だったんだから、白雪のことは大目に見るとするよ。……でも、もう一人にならないようにね?」

 白雪が𠮟られないことに胸をで下ろしつつも、玖遠からの注意をしんに受け止めた沙夜は強く頷き返した。

 すると玖遠はおたがいの手をからめるようににぎってくる。おそらく、沙夜がこれ以上、迷子にならないようにとはいりよしてくれているのだろう。

「あの……差しつかえなければ、先程の巨木の名前を教えて頂くことは出来ますか? 花びらが散っていく様が見入ってしまう程に美しくて……。せめて名前だけでも知りたいのです」

「……そうか、沙夜は桜のを見たことがなかったね。……でも、桜は桜でも、あの巨木は普通の桜じゃないんだ。『とこざくら』と呼ばれている植物型の妖だよ」

「ええっ……。植物の妖、ですか?」

 驚いた沙夜はぽっかりと口を開けてしまう。妖と言っても、色んな種がいるのだと改めて思った。

「季節に関係なく咲き続けていて、しかも妖達にとって妖力の源となる存在なんだ。その場から動くことは出来ないけれど、常にい妖力を放出しているから、妖力に慣れていない人間が近付くとてられて不調を起こす場合もあるんだ」

「そうだったのですね……。あれほど美しいのに妖にとっては益のあるもので、人間にとっては害となるなんて……」

 近くで見られないことを残念に思いつつ、沙夜は玖遠と共にその場からはなれ、屋敷に向かって歩き始めた。

「人間側にとっても有益な特性は持っているけれど、かつて、それが原因で人間と妖は常夜桜をめぐって争ったこともあるらしいよ」

「人間と妖が……」

「今はもう、数本しか残っていない。簡単に本数を増やせるものじゃないから、これ以上、常夜桜を失うことになれば、妖達は妖術が使えなくなるだろうな……。妖力というものは妖にとってはほこりでもあり、おのれの力を周囲に示すものでもあるから、そんなことになれば混乱どころじゃ済まないだろうね」

 玖遠は背後の常夜桜へと振り返った。その瞳にはるぎ無い何かが宿って見えた。

「妖にとってはかなめなんだ、常夜桜は。だから、ばつさいされたり、悪用されたりしないように守っているのが各地の妖の頭領達、というわけだ。頭領達は常夜桜を守るために常に結界を張り、己の守護領域内に侵入する者達ににらみをかせているんだ」

「つまり、玖遠様も常夜桜を守っている方の一人で、とてもお強いということですね」

 ふと思い出したのは、先日、妖達と顔を合わせた時のことだ。風香の発言に玖遠は圧を浴びせていたが、その際の妖達のひとみにはのようなものが浮かんでいた。

 沙夜は玖遠の一部しか知らないが、きっと想像しているよりも強い妖なのだろう。それでも彼のことを恐ろしいと思えないのは、共に過ごした時間の中で積み重ねられた親しみとしんらいのような感情を彼にいだいているからかもしれない。

「まぁ、守っているだけで、しく世話をしているわけではないけれどね」

 玖遠は何てこと無さそうに笑っているが、守り続けることはきっと大変にちがいない。

 頭領としての責務を果たし続ける玖遠が遠くに感じられ、まぶしく思えた。

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