4.勇者、おためし採用される
試用期間という制度がある。
もとは港町ラベルタの商人ギルドが考案したもので、新しい職員を本格採用する前に一月から数ヶ月間ほどの期間、仮採用を行う制度だ。
これの
雇う側は、相手が使えるやつなのかどうかを見極めることができる。雇われる側は、実際に働いてみなければ分からない職場の雰囲気や文化を肌で味わうことができる。
実際のところ、世の中には『やってみないと分からないこと』が非常に多い。
戦いと同じだ。一の実戦は一〇〇の座学に勝ると言われるように、相手の人となりを把握するには肩を並べて戦ってみるのが一番手っ取り早い。
お互いに相性を見極めるためのおためし期間。それが試用期間であり、試験採用だ。
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「……はあ。いいでしょう」
ふう、と長いため息をついた後、魔将軍シュティーナが口を開いた。人差し指を唇にあて、しばし思案した後、しぶしぶといった体で言葉を続ける。
「世界を救ったにも
「ありがとう。魔将軍シュティーナ」
本心でお礼を言った。
先程も言った通り、聖都の王をはじめとする権力者たちは俺に刺客を差し向けてきた。正直、刺客だけならいいのだ。エキドナや四天王クラスならともかく、そこらへんの有象無象がお徳用パックみたいに群れをなして襲ってきたところで、俺が後れを取ることはまずない。殺さない程度に撃退するのも
郵便、伝書
こうなると
その点、魔王軍はいい! 少なくとも最低限の食い物は出してくれるようだし、屋根のあるところで寝られるし、連日のように俺を殺しにやってくる刺客をあしらう必要もない。
まあ、俺に恨みを持つ旧魔王軍の生き残りが命を狙ってくるかもしれない。いや、『かもしれない』じゃないな。俺に恨みを持ってる奴は多いだろうから、むしろそうならない方がおかしいのだが──その時はその時だ。なんとか平和的な解決法を模索するとしよう。
シュティーナも同じ
「いいですか? まず、あなたが魔王軍入りしたことはエキドナ様には内緒です。万が一にもバレないよう、魔術なり
「少し、か」
「……少しですね」
本当に少ししか残っていないのだろうな、と思った。
なにせ今の魔王軍は──主に俺が暴れまわったせいで──ガタガタだ。人員は歯抜けで、田舎の国境警備隊みたいな規模にまで落ち込んでおり、組織としてはまるで機能していない。人員の増強が目下の最優先課題と言えるだろう。
ことわっておくが、別に俺は魔王軍兵士をかたっぱしからブチ殺していったわけではない。《
なにせ相手は、無駄な殺しを極力控えて侵略を進めていったエキドナ軍だ。虐殺は虐殺を呼び、
それでも、避けられない戦闘というのはどうしても出てくる。とりわけ全ての四天王を倒し、ここ魔王城へエキドナを討ち取りに行こうとした際は多くの兵士達が立ちふさがった。流石の俺も手加減などしていられなかったから、あそこで命を落としたやつもいた。
結果として、俺に恨みを抱いている奴は『死んだ』か『重傷で魔界に帰った』が大半を占めることになる。エキドナのようにとことんタフな奴を除けば、あとは酒場の
「俺も面倒事はごめんだ。正体がバレないよう気をつけるよ」
「分かっているなら構いません。というか、ただでさえ私は仕事で忙しいのです。これ以上無駄なトラブルはごめんですからね」
シュティーナの目に多少の
──そう、仕事だ。採用面接をはじめとする仕事はエキドナと四天王がやるのだろうし、兵力増強が済むまで人間界へちょっかいを出すことはないはずだ。当然、俺がやるべき仕事もそんなに多くはないだろう。
食べて、寝て、ダラダラできる。魔王軍は俺にとって理想の職場になりそうだった。
「あと、これはあくまで一ヶ月間のお試し採用です! このシュティーナが監督役となって、あなたの仕事ぶりをチェックします。試用期間のうちに
──訂正する。
理想の職場になるはずだった。流石にダラダラ遊んで暮らすのは無理か。
俺の顔色が僅かに変わったのを見逃さなかったのか、シュティーナがツカツカと歩み寄ってきた。
「まさかあなた、しばらくは遊んで暮らせそうだーとか、食べて寝てダラダラできるぞーとか、そんなふざけたことを考えていたのではないでしょうね」
「まさか! とんでもない!」
「……はあ」
あわてて両手を振って否定する。深い
「いいですか勇者レオ。これはあなたの
「俺の?」
「ええ。この試用期間で成果を出せたなら、お試し採用なんてケチくさいことは言いません。私たち四天王が、エキドナ様へあなたの正式採用を進言してあげます」
「なるほどな。逆に、成果が出せなかった場合は?」
「追い出します」
ぴしゃりと言われてしまった。
そりゃそうだ。ただでさえ財政が
「わかってるよ、仕事はする。追い出されて野宿生活に戻るのはゴメンだからな。まずは魔王軍を立て直すのが急務だ。そうだろ?」
「ええ。兵力の増強、城の修復、武具の調達が第一。そこから経費削減と福利厚生の充実とカウンセリングと……軍団の再編成って大変なんですよ。ほんとに」
まあそうだろうな。だって再起不能直前まで追い込んだの、俺だし……。
そんなだから、むしろ俺はエキドナに聞いてみたかったのだ。
『なんでここまで追い込まれても人間界から撤退しないのですか?』
『なんか理由があるんですか?』
と。人間界に居場所が無くなったのは事実だが、俺が今回魔王軍へ入ろうと思った一番の理由は、正直言うとこれ──『エキドナと話してみたい』だった。
残念なことに今回の面接ではエキドナと話すどころではなかったが、正規採用された暁には色々とチャンスもあるだろう。一度じっくり話をしてみたいものだ。
「他にも魔力炉のメンテナンスとか新兵の教育とか……ちょっとレオ。聞いてますか?」
「おっと。聞いてる聞いてる」
「シュティーナだけじゃないよー! あたしもね、あたしもね、大変なの!」
先程からずっと話し続けていたシュティーナが口を
「最近ね、ヘイ……ヘイタン? を任されたけど、大変なの! 仕事、いーっぱいあるんだよ!」
「正気か」
思わず本音が口をついて出た。
上司──エキドナ──の正気を疑う。このバカが
他の四天王の方に目を向けると、シュティーナとエドヴァルトが気まずげに顔を背けた。メルネスは我関せずといった風で卓上の籠に入っていたリンゴの皮を
……無理もない。エドヴァルトのおっさんは武闘派だから、コボルトやオークといった肉体派の兵士を鍛えて一人前の戦力にするのが主な役割なのだろう。
採用面接に来た奴の中には、少数ながら竜族──つまり、人語を解する
シュティーナはその反対。淫魔をはじめとする魔族はもちろん、
遠目には分からないが、よく見ればシュティーナの目の下には濃いクマができているし、顔色も悪い。本来もう少し艶があったはずの金髪はくすんでおり、手入れも満足に出来てない様子が見受けられた。もしかするとこいつ、過労死寸前なんじゃないか……かわいそうに。
メルネスは──見ての通りコミュニケーション能力に問題があるので、兵站のように細かな手配や交渉が必要な仕事には根本的に向いていない。気配遮断に
このように、リリ以外の三人にはそれぞれ役割がある。そして
軍隊で一番重要なもの。それが兵站だ。
「で、リリ。お前に白羽の矢が立ったわけか……」
「そーゆーことです!」
俺の
何をやっているか分からない魔王エキドナを除けば、手の空いている最上級幹部はリリしかいない。この能天気娘に兵站部門を任せるしかないわけだ。軍の生命線を。
あまりにも
「いやー……予想以上に大変だなあ、これ」
「あ! な! た! の! せいです!」
「──あっぶね!」
シュティーナが無詠唱で飛ばしてきた《
発動が楽な《
おわかりだろうか? 今の一瞬でそういう気遣いまで出来るのが、この俺、レオ・デモンハートという天才勇者なわけだ。そんな有能人材が魔王軍への入団希望を出しているのだから、シュティーナはもう少し敬意を表してほしい! そして、そう思ってもけっして口には出さない俺の奥ゆかしさを見習ってほしい!
「まあ落ち着け魔将軍。レオ殿が仲間になってくれるなら、これほど心強いことはなかろう? 常日頃から人手が足りん足りんとこぼしていたのは、他ならぬお前ではないか」
「う……それは、そうですが……」
エドヴァルトになにか言い返そうとするシュティーナに向け、リリが両手でバッテンを作って抗議する。それでもまだ何か言いたげな風ではあったが、
「……くっ。わかりました。私は冷静です。冷静ですとも、ええ」
不承不承黙り込む。それ以上蒸し返すつもりは無いようだった。
シュティーナが静かになった後、丸太のように太いエドヴァルトの腕が俺の肩に置かれた。
にっかりと笑うエドヴァルト。よかった、どうやらこいつの信頼は勝ち取れたらしい!
「ともかく、かつての遺恨は忘れるとしよう。よろしく頼むぞ、レオ殿!」
「よろしくねー!」
「おう、よろしくなエドヴァルト。リリも」
腰にしがみついてくるリリの頭を
良くも悪くもオープンな感情をぶつけてくれる魔将軍シュティーナ。
これまでの経緯もあって友好的な竜将軍エドヴァルトと獣将軍リリ。
そんな中で、一人だけこの輪に加わらず、終始だんまりを決め込んでいる奴が居る。
「……」
それが無影将軍メルネスだった。志望動機を話し終わってからこっち、無言でリンゴを
──まさか、俺の境遇に同情して言葉を無くしているとか?
いやいや、そんなわけはない。頭を振り、馬鹿馬鹿しい考えを否定する。
こいつは
ギルドマスターにのみ代々受け継がれると言われる、姿隠しの加護が込められた紫色のフード。その下の顔はとことん無表情で、かつての敵である俺の加入に際してすら、特に何の感想も抱いてないように見えた。冗談交じりで手を振ってみる。
「やあメルネスくん。元気?」
「……」
銀髪の隙間から
「元気みたいだな。これからヨロシク」
「……」
見事に無視されてしまった……いや、無視ではないな。だんまりを決め込んでいるように見えるが、目だけはじっと俺の方を向いている。
まあ、万一こいつが『レオくんよろしくね! 一緒に頑張ろう!』なんて言ってきたらそれはそれで気持ち悪いし、そういう意味では無言でも構わないのだが。構わないのだ、が。
これから同僚になるのだし、何か一言くらい
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──魔王エキドナに不採用を
こうして二次面接は終わり、元勇者レオ・デモンハートは魔王軍に仮採用された。
「ふう……」
魔王城の一角、あてがわれた個室で一息つく。
ボロいベッドに横たわって目を閉じ、明日からの仕事を思い浮かべる。
やることは多い。深刻な人手不足の解消。組織運用ノウハウの蓄積。一般兵の教育。
人間達とのいざこざも起きるかもしれない。なにせ連日のように採用面接を開いているのだ、どうしても魔獣や人の移動経路は目立ってしまうだろう。魔王軍が再起を図っているということが人間界の権力者どもに伝われば、新たな火種になることは想像に
「……見ていろよエキドナ。必ず入ってみせるからな、魔王軍」
新しい職場で俺がやるべき仕事は、どうも山積みのようだった。