二 エンゲージ(7)

 ──あの日。

 後に『とうきようりんかいエリア同時多発テロ事件』、より一般的には『3・13』と呼ばれる事件が起きた日。ゆうの全ては変わってしまった。

『愛してる』

 そう言ってくれた母の言葉に見合う人間になる。……そのためだけに、生きて来た。自分を守ってくれた父と母のように、誰かの大切な命を守るということは、ゆうにとって、何より優先されなければならない責務だった。

 ただ……、その話を、初対面のとせに言うのは気が引けた。

 く説明できる自信もなかったし、同情を引こうとしていると思われたくもなかった。

 ゆうとせから視線を外し、下を向いた。自分の心から、うそにならないよう幾つかの事実を間引くと、残ったのはあまりにも普通の回答で、ゆうは苦笑いを浮かべながら口を開いた。

「いや、すごく、単純な理由だよ。みんなと同じ。苦しんでいる人がいたら助けたいと思うし、悲しんでいる人がいたら、やっぱり助けたいと思う。本当に、ただそれだけ。なんだか、言ってて馬鹿みたいだね。つまらない回答でごめん」

 照れ隠しに笑うゆうを見て、とせは首を振り、どこか幸せそうにほほんだ。

 やがてとせは立ち上がり、窓の方に向かった。

 か窓の外を、これまでとは違う鋭い視線で見つめた。

ゆう君……、意見を聞かせて欲しいです。あなたはこの世界、現実だと思いますか? それとも、仮想現実だと思いますか?」

 唐突な質問に、ゆうが口ごもる。

「……ごめん。まだ良く、分からない」

 とせは一度うなずいた。

「他の人にはまだ言わないでください。私は、ここは、仮想現実なんだと思っています」

 ゆうが驚いてとせのことを見る。そこまで断定してくるとは思っていなかった。

 とせの目が強い光を放っている。リーダーとしての目だった。

「いくつか理由はありますが、一番気になるのは、ファイント達。彼らの食糧です」

「食糧?」

「あれだけの個体数、しかも彼らはかなり大きい。それなのに、これまでの観察では、彼らが人間以外を食べているところを見たことがない。人間は私達以外、今のところ見当たりません。それでは明らかにエネルギー不足です。もちろん何かしらの仕掛けがあるのかもしれません。ただ、他の事象にもかんがみて、そして今得られている情報から考えると、私はやはり、ここは現実の世界ではないのだと思います」

 ゆうが胸の前で小さく手を挙げる。とせが目線で発言を促す。

「でも、遺体のことはどう考えてるの?」

 とせが一度うなずいた。

「確かに、クライン・ボトルのVR空間内で死亡と判断された場合、遺体がそのままの形で残ることはありません。……通常は」

 ゆううなずく。

「逆に残っているのは、ログアウトエラーが発生している時、だよね」

 しかし予想に反して、とせうなずかなかった。

「ログアウトエラーが発生した時──。確かに私も指導教官からそう教えられました。でもそれは、間違ってはいませんが、正確な答えではありません。ゆう君は、研修中に配布されたPFとクライン・ボトルの説明書に目を通したことはありますか?」

「うっ」とゆうの喉が詰まった。もちろん……読んでいない。

 ただそれは、ゆうだけの怠慢ではないはずなのだ。

 なぜなら説明書は約五百ページのものが七冊あり、しかも内容は小難しくて理解が出来ず、そして何より、研修をこなす上で必読の部分なんてほとんど無かったのである。

「第六編の百十二ページにあるのですが……」

 淡々と話すとせにマジか、と思う。まさか全部覚えてしまっているのだろうか。

「プレイヤーの遺体が消失せず、正常なログアウトが出来ない場合の原因として最も考えられる事態は、生身のプレイヤーに、重篤な脳機能障害が起こっている、ということだそうです」

 心臓にヒビが入った。

 脳機能障害。具体的なその響きに身体からだの芯が冷える。

 しかも、死んでいった仲間全員に同じ症状が出ているということは……

「もしかしたら僕達の身体からだも……いや、脳も、今、大変なことになってるってこと?」

 とせが少し考えてから、再び口を開く。

「大変なことになっている可能性はあります。すでにもうどうやっても死ぬ状況にある、というケースも十分あり得ると思います」

「そんな……」

「でも、今の私たちは正常に活動できています」

「ん? あ……そういえば」

 確かに現時点で重大な脳障害など起こしていたら、そもそもプレイヤーとして十分な活動なんて出来ないに違いない。だとすれば──

「こちらの世界で死んだ瞬間、生身の身体からだの、脳が壊れる?」

 とせが沈痛な顔をしてうなずいた。

「そう考えると、教官たちの中に、自殺した人達がいたことも納得できます。こちらの世界で死んだらログアウトするだけのはずなのに、自分を罰するかのように死んでいった中隊長達。彼らの行動から考えると、この世界で死んだ後、普通に帰還できるなんてことはとても考えられません。ここからは勝手な想像ですが、私たちはやはりこちらの世界で死んだら死亡、あるいは、もう既にどうやっても死ぬ状況にあると考えた方が適切だと思います」

 凍り付くゆうのことを、とせの青い瞳が静かに見つめる。

「もう私たちが生きて戻れる可能性は限りなく低いのかもしれない。でも、もし、どこかに可能性をいだすとしたら、私は一つの選択肢しか思い浮かびません。ゆう君、プロジェクト・ファイアウォール、その元々の説明にあった終了条件を覚えていますか?」

 言われてはっとする。

 予想外の展開が続きすぎて、基本的なことを忘れていた事に気づいた。

「え、と。一つは全滅。もう一つは、既定のポイントに到達して、そこにあるマーカーを起動させる」

 そこまで言って、ゆうの頭に疑問が浮かんだ。

「でも、あくまでそれはノルマンディーを舞台としての話だよね?」

 とせはその質問には答えず、上着のポケットからスマホのようなものを取り出した。に配られている電子地図だった。とせが頰を染めながら「こっそり、頂戴しました……」とボソボソつぶやき電源を入れる。

 デバイスが起動し、現在地を中心とした地図が映る。

 画面には、ノルマンディーではなく、とうきようの地図が映っていた。

 ぜんとして見つめるゆうの視線の先、地図の一か所で、赤い光が点滅している。

「これ……」

 間違いない。マーカーの位置を示す点だ。

 とせうなずいた。

「マーカーは生きています。場所は……」

 窓の外を指し示した。

 その指の先に、空に向かってそびつ、一本の赤い電波塔。

 あまりにも有名なとうきようのランドマーク。

とうきようキャンドル」

「ご、ごめんちょっと待って」

 ゆうの頭が限界を超えてミリミリ動く。

「でも、そもそも、ノルマンディーに上陸するって言うのもうそだったじゃない? このクリア条件を達成したって、プログラムが終了するなんて保証はどこにも……」

 言ってから気づく、そんなこと当たり前だ。とせだってそのくらい分かっている。

「私もそう思います。これは、勝手な期待が作り出した妄想に過ぎないと。でも、他に可能性があるかと言われると、正直私には思い浮かばない。それともう一つ……」

「何?」

「教官たちの何人かは、おだいが見えた瞬間、すごく驚いたそうです」

 そういえばとう大尉もそうだった。

「恐らくおだいに上陸したのは、教官たちにも全くの予想外だったんだと思います。教官たちは何かしらの裏の意図をもって、VR上でノルマンディーに上陸しようとした。そして例えそれが多くの犠牲を伴う困難なミッションだったとしても、やはりこれまでの訓練通りマーカーを起動させ、このプロジェクトを終了させようとしていた。しかし、予想を超える事態、つまりはおだいに上陸するというショッキングな現実を見て、錯乱し、中には自ら命を絶つものまでいた。そう考えても良いと私は思います」

「つまり、あまみやさんは……」

「私は、とうきようキャンドルを目指して進むべきだと思います」

 腹の底が冷たくなった。

 心のどこかで、おだいにとどまっていれば、何とかやり過ごす方法も見つかるのではないかと思っていた。それを進軍するとなると、どれほどの犠牲が発生するのか想像もつかない。

ゆう君、見てください」

 とせの指が示すレインボーブリッジを見て、ゆうの顔から血の気がごっそり抜けた。

 巨大な橋を渡って、ぽつぽつではあるが、ファイントがおだいに向かって来ていた。小型のものから大型のものまで……これまで見たことのない種類も多くいる。

「どんどん流入量が増えています。この様子だと、恐らくとよ方面からも入ってきてる」

 これでは……近いうちに、おだいはファイントで埋め尽くされることになるだろう。弾薬にも限りがある。このまま大人しくしていたら、じり貧で全滅するのは間違いない。

 決断力のあるとせらしくないと思った。ここまで分かっているなら、すぐに出発すべきだ。

 ゆうが見つめる先で、しかしとせは悲しそうに視線を落としていた。

「分かっています。行くなら、今すぐにでも出発すべきです」

「なら……」

「これまで私は、私の指示で犠牲がたくさん出るのをおそれて、出発できませんでした……」

 とせの肩が、小さく震えている。

 その肩に……、どれだけ重い責任がかかってきたのだろうか。彼女の決断は、仲間達の生死を直接左右する。

 とせが顔を上げる。小さな笑顔になっていた。

「でも私、ゆう君とお話し出来て、勇気が出ました。私も全力を尽くして、大切な仲間を守ります。ゆう君みたいに出来るよう、頑張ります!」

 決意を固めるとせを見て、ゆうは思った。

 それは──、まずい。

 たいの言っていた通り、ここにいるメンバー達は、強いリーダーシップを持ったとせの冷静な、時に冷酷にさえ見える判断があったからこそ、生き延びてこられたに違いない。

 これまでチーム全体にとっての最適な判断を下すことによって、メンバーを引っ張って来たとせ。それが突然、全体ではなく、個人の生命に対して強い執着を発揮してしまったら、チーム内の統制が乱れ、全体にも各個人にも、不幸な結果が生まれてしまうのは明らかだった。

 ゆうは、そっととせの肩に両手を置いた。

 とせが驚いて目を丸く広げ、頰を真っ赤に染めてゆうのことを見る。

「それは、駄目だ」

「え? ……ど、どうしてですか?」

 上気した頰は一瞬で冷えきり、不安そうにゆうを見る青い瞳が揺れる。

 ゆうは一度、かたまりのような唾を飲み込んだ。同年代の女の子に言うには、あまりに無責任で、あまりに残酷な台詞せりふ

「君は、これからもチームのことを第一に考えるんだ。そうじゃないと、チームがく機能しなくなり、結果、犠牲はより増える。だろ?」

 とせの目にじわじわと涙が浮かんできて、ゆうの胸が、罪悪感で潰れそうになる。

「そ、そんな……。そんなこと、言わないでください。もう、嫌なんです。仲間のことを見捨てる決断をするなんて。そんなこと、もうしたくない……」

 とせの肩に置く手に少しだけ力を込めた。

「大丈夫。チームの人達は、僕が必ず守る」

 言うと同時、ゆうの心の中に強い決意がみなぎってくる。

 とせが、信じられないものでも見るように固まった。

 そう。とせのリーダーシップは、このチームにとって生命線だ。なら、仲間を守る役目の方は自分がになえばいい。

「だ、駄目ですそんなことっ!」

 とせから大きな声が上がった。

「仲間の救出に向かう人は、一番危険な立場になります。ゆう君に、そんな役を押し付けることは出来ません」

「僕は、何て言われようとこれまで通りにやる。仲間は絶対に見捨てない」

 とせはぐっと息をみ、眉根を寄せて、真剣にゆうを見続ける。自分のせいで、ゆうに残酷な役割を引き受けさせることになったのではないかと、その美しい顔にしゆんじゆんが浮かぶ。

「もちろん、僕ばっかりが大変な訳じゃないよ? 君も、これまで通りリーダーとして、チームのために頑張るんだ。でもこれからは、一人で頑張らなくて良い。僕が、君のことを支える」

 とせが目の前に雷でも落ちたかのように硬直した。見開かれた瞳に、ジワリと涙がにじむ。あふれそうになるそれを、唇をんでこらえた。

 ゆうの中に、目の前の少女を愛おしく思う気持ちがこみ上がってきた。人差し指の背で、そっととせの涙をぬぐった。

「泣かないでとせ。これまで、一人で良く頑張ったね。大丈夫。これからは、もう一人じゃない。二人で一緒に頑張ろう?」

 ゆうに見つめられている青い瞳が大きく揺らめき、大粒の涙がボロボロとこぼれ始めた。

 これまで一人で、一番つらい役を良く頑張ってくれたと思う。これからは、彼女の悲しい決断が減るように、自分も必死に努力する。

 声を抑えて泣くとせの肩をでながら、ゆうは心に強く誓った。

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