二 エンゲージ(2)

   §§§


 ふと、目が開いた。

 ──静かだ。

 自分の目と鼻の先に、自分の右手がある。

 ゆうはそっと顔を上げた。左の頰からパラパラと細かい砂が落ちた。ふいに目から涙がこぼれて、慌てて拳の背でぬぐった。

 なるべく小さな動作で周囲を見渡してみる。

 砂浜だった。しかしそう広くはないらしい。

 二十メートルほど行ったところには既に松林が広がっているし、その向こうにはコンクリートの建造物が見える。

 聴覚が次第に能力を取り戻していく。

 静かに規則的に続くのは波の音。ただそれだけが聞こえている。

 つい先刻までのクラスメイト達の悲鳴や怒号は、今はどこからも聞こえない。

 ──夢?

 そう思ってゆうはゆっくりと立ち上がった。周囲を見渡す。

 海は自分の後ろ側にあり、その向こうに、先ほど船の中から見たレインボーブリッジが、まるで霧の中に浮かぶ城のようにそびっている。

 改めて砂浜を見たゆうは、少なくとも先ほどまでのさつりくが夢ではなかったことを理解した。

 砂上には、かつて人間であった身体からだのパーツが至る所に転がっており、海水はまるでタールでも流し込んだかのように赤黒く染まっている。

 足元に転がっていたピンク色の大腸に群がる小さなかに達の姿を見て、ゆうはこみ上げる吐き気を必死になってこらえた。

 動いている人間は、どうやら自分一人だけらしい。ふと気づいて左の手首を見ると、時計の針はちょうど午前六時三十分──Hアワーを指して止まっていた。

 少し離れたところに、上陸したというよりは、座礁したヒギンズボートが一隻見えた。

 素早く近付き、のぞき込もうとしてちゆうちよする。もしかしたら生存者ではなく、敵の方がいるかもしれない。

 ──敵……。

 敵って……何だ?

 事前の説明では、自分達はノルマンディー上陸作戦のうち最も過酷であったオマハビーチ上陸を体験し、プログラムの制御するNPCである旧ドイツ兵と戦闘を行うことになっていた。

 しかし実際に飛んできたのは、銃弾などではなく、得体のしれない謎のトゲ。

 ガチャガチャ。

 という硬質な音がして、ゆうが凍り付いた。

 ボートの側面の壁にぴったりと身体からだを寄せ、にじり寄るかのように少しずつ進む。

 船の中を見て、ゆうは一度、ゆっくりと息を吐いた。

 希望も絶望もそこにはなかった。

 ボートの中には、何人分かの乱雑に散らばった遺体。

 そのそばに、ウミネコらしき白い鳥がいて、ゆうに気付いて海の方へと飛んで行った。

 ボートの中に同じく散らばっていたタボールのうち、一番状態の良さそうなものを選んで拾い上げる。遺体達に手を合わせてから、使えそうな装備を一つ一つ拝借していった。

 しかし……すさまじい腐敗臭だった。

 何人分の遺体なのか、もはやそれすらも分からないが、既に溶け出している内臓もある。もしかしたら、気絶してからしばらく時間がっているのかもしれない。周囲に生存者が誰もいないのは、上陸後の兵士たちが、既に移動してしまったからではないだろうか。

 水筒から水を一口飲んで息を吐いた途端、身体からだが急にブルブル震え出した。

 寒かった。怖かった。意味が分からない。

 一体、何が起きているのだ?

 自分は今、とうきようの、しかも現代のおだいにいるのだ?

「本物の戦争」。真っ先に死んだとう大尉の言葉を思い出し、水筒を落としそうになる。

 まさか……。

 あくまでまさかだが、ここは現実世界、ということはあり得るのだろうか。

 死体が消えないのは、そもそもここが、現実の世界だからなのではないだろうか……。

 クライン・ボトルが生成するVR空間は、あまりにも現実に等しいものであり、ここが予定通りの仮想の世界なのか、それとも現実の世界なのか、改めて問うてみると、その答えが出せないことにがくぜんとする。パニックを起こしそうになる頭を、必死に制御し続ける。

 えず、分かっていることを考えよう。

 分かっていることは一つだけ。旧ドイツ軍ではない何かしらの敵が今この近くに存在し、それは恐らく自分のことを見つけたら、間違いなく攻撃してくるだろうということだ。

 ゆうはしばらく考えてから結論付ける。早めにここを出よう。

 このヒギンズボートの中は、少なくともしばらくの間は安全そうだ。

 しかし人間、食料や水が必要だ。それは、ここが現実世界である可能性を考慮した時、より深刻な問題となる。

 まだ体力のあるうちに行動に移った方がい。幸いなことに行く先のアテはある。

 ゆうは目の前のコンクリートの建物を見上げた。

 アクアシティおだい。確か大型のショッピングモールだったはずだ。

 慎重に砂浜を横切り、松林を抜け、そして道路を渡ると、間もなくアクアシティに到着した。

 中に入ろうとして一度止まる。自分はこのおだいの地理に詳しい訳ではない。

 来たことがあるのはいばらに引っ越した後。中学三年生の時の社会科見学の時だけ。かお台場に来てフジテレビに行き、ジョイポリスの中で遊ぶという社会科見学というよりは遠足をしたことを覚えている。

 入る前に、周囲の状況を確認しておいた方がい。

 中で何か発生して、慌てて外に出てきた場合に、逃げることも出来ないのでは笑えない。

 ゆうもやで白く濁っている道をゆっくり進んでいく。

 右の建物がアクアシティだが、左の灰色の建物に「ジョイポリス」の字が見えて、こんな時なのに少しだけなつかしい気持ちになる。そういえばこんな建物だった気がする。

 高速道路のようなものが頭上に見えてきて、良く見ると「だい駅」と書かれている。

 これは確か、『ゆりかもめ』という交通機関だ。

 例の社会科見学の時、何度か乗車したことを思い出した。

 それにしても、恐ろしいくらい静かだった。敵の姿もだが、仲間の兵士の姿も見当たらない。

 聞こえるのは自分の呼吸の音くらい。

 緊張のせいで、大して動いてもいないのにぜえぜえと喉からあえぎ声のような音が上がる。

 だい駅の下まで来たゆうは右に曲がろうとして、ふと何かの気配を感じて左に向き直った。


 背筋が凍った。


 四十メートルほど先、白いもやの中に、人影がぼんやり浮かんでいる。

 思わず漏れそうになった悲鳴を飲み込み、ゆうは素早く近くの階段の壁に身を潜めた。

 人影は、ゆうのいる方向にヒョコヒョコ小走りで走ってくる。

 まさか敵に気付かれたのかとゆうの顔から血の気が引いた。

 近付いてくる人影は兵士のかつこうをしており、その肩に下げている特徴的な小銃の形は──、間違いなく自分達に支給されているタボールだった。

 ゆうの肩からどっと力が抜けた。

 友軍だ。自分以外にも生きている者がいたのだ。

 一応念のため、ゆうは階段に身を潜めたまま、相手からこちらに来るのに任せることにする。

 三十メートル。二十メートル。

 ゆうは自分の目を疑った。

 近づいてくる兵士は、空中に浮いていた。

 十五センチほど地上から浮いている兵士は、まるで鍵にくっつけたキーホルダーの人形のように、ぶらぶらと左右に揺れていた。

 突然。

 バキキ、というクルミを割るような音がして、兵士の首から上が消失し、その身体からだが地面にドサリと落下した。

 その後ろに──ダチョウのような何かがいた。

 首から下は、確かに羽のないピンク色のダチョウと言っていい姿。しかしその頭の部分は、動物園で見る鳥類の頭部とはまるで違う。

 ゆでたまごだ、と思った。

 ツルツルの細長い球状。その先端に、どんぶりくらいの口径の血だらけの穴が開いている。先ほどまで兵士の頭にみついていて、今はモグモグとその頭をしやくしている。


 口だった。──っていた。

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