二 エンゲージ(1)

 かつて住んでいたとうきよう。今はもう無くなってしまったとよの大型ショッピングモール。

 僕の目の前で、母が困ったように眉を寄せてほほんでいる。そしてベンチに座った僕は、すっかりふてくされている。

「ねえゆう。やっぱりフィギュアじゃなくて、テディベアの付いたクッキーにしようよ」

 それを聞いた僕は、こんしんの力で母をにらみつけた。何を言っているのだろうと思う。「ブラックトーラス」以外なんてあり得ない。

 ……なつかしい夢だった。久しぶりに見た夢だった。

 その日は三月の十三日で、つまりはホワイトデーの前日で、そのショッピングモールに僕がいたのかというと、それはとある女の子へのホワイトデーのお返しを買いに行っていたからだった。そしていろいろなお店を回り、悩みに悩んだ上で僕の決めたお返しは、「ブラックトーラス」という変身ヒーローのフィギュアだった。

 長い間病院に入院している彼女は、今度大きなしゅじゅつを受けるらしい。この前もその秘密の話を僕にだけしてくれた時、とても不安そうにして泣いていた。でも僕がブラックトーラスの話をしたら、とても楽しそうに聞いてくれて、最後は笑顔になってくれた。

「ブラックトーラス」は子供向けとは思えないハードな内容のせいで、日曜の朝に放映されているヒーロー物の中では、すごく視聴率の悪いテレビアニメだった。

 ──ある日突然、悪魔達の「ハンティング」の対象となってしまったおさなじみ──その女の子を守るため、一人の悪魔と取引をした主人公「じゆう」が、全てを捨ててブラックトーラスに変身して闘う……簡単に言えばそういう内容だった。

 ブラックトーラスなら、しゅじゅつする彼女の事を守ってくれると思った。僕はだから、お守りとしてそれを彼女に送りたかったのだ。

 うーん、とうなる母の隣に父が現れた。その手には、カラフルな玉が重なったアイスクリームが握られていた。父はどちらかというとあきれたようにいきき、そのアイスを母に渡した。

「ほらゆう。イチゴバナナ好きでしょう?」

 母は僕に目線を合わせるようにかがみ、アイスをすくったスプーンを差し出した。

 僕は、その手を払った。それだけじゃない。僕の手は、勢い余ってアイス本体の方まで払ってしまった。母の手から落ちたアイスが、フローリングに落下した。踏みつけにされた雪だるまのような無残な姿に見えた。

 父の顔に怒気が浮かび、僕が首をすくめたタイミングで、母が手の平を父に向けて、その怒りを押しとどめた。

 母は落ちたアイスを、ぎわ良く拾い上げてビニールの袋に入れた。そしてかばんから、お出かけの時にしか使わないお気に入りのれいなハンカチを取り出すと、何のちゆうちよもなく地面を拭いた。黒く汚れたハンカチを見て、僕の胸も真っ黒に塗り潰された。自分のしたことの愚かさに、涙があふれそうになった。

 ぎわよく片づけを終えた母が、れいな方の手で僕の頭をそっとでて、優しくほほんだ。

「うん……。分かった。それじゃあ、ブラックトーラスにしよう。ゆうが選んだ物だもの。きっと喜んでくれるよ」

 夢を見ている僕の目から、ついに涙があふした。

 ……あの時、フィギュアになんてこだわったのだろう。馬鹿に決まっている。相手は女の子なのだ。しかも彼女は、ぬいぐるみが好きだった。母さんはその事もちゃんと考えてくれていた。テディベアの方が、どう考えても正解だった。

 あの時の、余計な時間さえなかったら……

 あの時の、僕のままさえ、なかったら……

 小さい僕は、はしゃいでいた。

 愚かで、自分勝手な子供が、欲望を満たしてもらえて喜んでいた。

 そんな僕に、しかし母は、笑顔を向けてくれていた。

ゆうはあの子のこと、本当に大事に思ってるんだね」

 突然の指摘に僕は狼狽うろたえて……しかし、小さくうなずいた。それを見て、母はうれしそうにうなずいた。

「それじゃあお母さん、ゆういこと教えてあげる。とっておきのおまじないだよ」

「……おまじない?」

「そう、おまじない。どんなに大変な時でも、ブラックトーラスみたいに、大事な人の事を、絶対に守ってあげるためのおまじない」

「なあ、おい……」

 父が眉をひそめて母の話をさえぎる。しかし母は僕のことを真っすぐに見ていた。

「いい? 忘れちゃ駄目だよ? それはね……」

 その時ふいに、人々のささやきが、さざ波のように伝わって来た。母のおまじないは、そのせいで良く聞こえなかった。

 父と母が、困惑した顔で頭上を見上げた。

 僕にもそれが聞こえた。まるで学校の黒板を爪でくような音。甲高くて気持ちの悪くなる、獣の悲鳴のような音。それがものすごいスピードで近付いてきた。

 墜落した飛行機のうち、最初の一機が落ちたのは、ちょうど三時十三分だった。

 天地がひっくり返ったかのような衝撃で、僕らも周囲の人も吹き飛ばされ、そして地面にたたき付けられた。ものすごい音が鼓膜を撃ち抜き、音が何も聞こえなくなった。

 頭がガンガンしてクラクラして、それでも本能からか、僕は必死になって顔を上げた。その僕の目線の先、モールの南棟の方から、絵具えのぐの赤色のようなべったりと濃い炎がニュルニュルと迫って来た。巻き込まれた人達が、一瞬にして真っ黒な炭になっていくのが見えた。

ゆうっ!」

 叫んだのだろう母の声は、しかしささやごえのように聞こえた。

 母と父は、僕のことを協力して抱き上げ、目の前の洋服店に逃げ込んだ。なるべく奥の棚の後ろに隠れた。母が僕のことを強く抱きめ、父がその母のことを強く抱きめた。

 今更になって何度も何度も……何度も思う。

 もし僕が、駄々をこねたりしないで素直に母の言うプレゼントを選んでいたら、僕も両親も、あの時既に、ショッピングモールにはいなかったはずなのだ。

 二人は、助かったはずなのだ……。


 愛してる。

 母のさいの言葉を思い出して、僕の目は涙で潰れた。

 直後、再びの大爆発が起こった。

 ──何機目の飛行機のせいだったのかは分からない。

 計七機の飛行機の直撃を受けたショッピングモールの中で、僕は父と母を、同じ日に失った。


 母のおまじないには、効果があったのだろうか?

 父と母は死んだのに、僕は……

 僕だけは、生き残った。

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