一 プロジェクト・ファイアウォール始動(2)

「しかしまさか、ここまでキツイなんてな」

 耳元でたいの声がして、ゆうの意識が「一九四四年の六月六日」に舞い戻った。目の前に、血の気を失い青白くなったクラスメイト達が並んでいた。

『ファイアウォール』への参加決定直後、クラスの多くの人間が抱いていた感情は、やはり「面倒くさい」だった。しかししばらくして、それは「まあいか」に変わり、いつの間にか、むしろ好意的なものに変わっていた。つまらない授業と、VR空間にて行う戦争ごっことでは、明らかに後者の方が面白かったのである。

 加えて「指定校」の学生達には、プログラムを最後まで完遂した場合、政府から多くのメリットを与えられることが決まったのも大きかった。それは例えば、いくつかの大学への優先的な進学権だったり、返済義務のない奨学金の授与だったりした。

 また、幾つかの有志団体からの出資により、参加者達には成績に応じて賞金が手渡されることも確約されていた。その最高額は、まさかの一億円を超えるらしい。

 両親をくし、祖父母の世話になっていたゆうも、やや血気盛んな有志団体の賞金はともかく、公式の奨学金制度には正直心かれた。とりあえず半年ほど我慢すれば良いのであれば、真面目にやろうかという気にもなった。

 でも……

 ゆうは自分の手を見つめた。幼い時に負った、ひど火傷やけどあとのある手。

 そこには今、この半年間の厳しい訓練の中で負った、新しい傷がいくつもついていた。

 初めてこのVR空間内でをした時のことを思い出す。

 あれは、衝撃的だった。

 ──痛かったのである。まるで、現実世界で傷を負った時と同じように。

『クライン・ボトル』

 国連主導で開発されたこの新型VRシステムは、従来のVRとは別の次元に存在していて、視覚や聴覚は元より、嗅覚、味覚、触覚といったその他の感覚さえも百%完璧に再現する。

 切り傷や擦り傷の痛みを再現される位ならまだいかもしれない。しかし、このシステムによって生成される世界、通称『クライン・フィールド』上で、もし銃撃されたならば、それは撃たれた痛みを感じるということなのである。そしてまたそれはこの空間の中で死んだ場合、実際の死と同じ苦しみを味わうということを意味している。

 一人、また一人とそれを理解し始めたクラスメイト達にとって、このプログラムはもはやただの「ごっこ遊び」を超えていった。

 現在、プログラム参加者全てが等しく共有している思いは、

『早く終わって欲しい』

 ただそれだけだった。

 ボートに乗った段階が、プログラムの本番開始になっていて、その後もし「死ねば」、当人は強制的にログアウトされ、元の生活に戻れることになっている。

「死」。

 それさえ乗り切ってしまえば、後は晴れて自由の身だ。

 幸いなことに、いかに痛みが本物に等しいとはいえ、クライン・ボトルの中で死んだとしても、実際に死ぬ訳ではない。

 自殺、を考えた人間はこのクラスの中だけでも一人や二人ではなかったはずだ。しかし自害した場合は報奨の対象にはならない。ここまで来て、どうせ同じく死ぬならば、恩恵をもらえないなんて馬鹿馬鹿しい。それに、自殺して「逃げた」と思われたなら、今後の学生生活を白い目で見られながら過ごさなければならなくなる。

 そして何より……多くのものにとって、やはり「死ぬ」ことは怖ろしかった。

 そういった複雑な思いが、クラスメイト達を今この場所に縛り付けていた。

「なあゆう、お前はさ、怖くないの?」

「え……?」

 目の前のたいは青い顔をしていて、その口元に苦笑いを浮かべていた。

「いや、何ていうか。普段と雰囲気あんまり変わらないからさ。わっ、ぷっ?」

 たいが顔に吹きかかった海水を拭う。

 ……実はゆう自身、ずっと不思議に思っていた。

 自分は周囲と比べて、ここまで冷静でいられるのか。

 一つとしては、結局、今のこの状態をVRとして割り切っているからなのだと思う。ただ、VRであることは、ゆうだけではなく、クラスの全員が理解しているはずである。

 理解していてさえ、恐怖を感じざるを得ないほどのリアル感がこの世界にはある。

 それならなぜ、自分だけこんなにも冷静でいられるのか……。

 一瞬、幼い頃に見た本物の地獄の光景が網膜をよぎり、ゆうは慌てて頭を振った。

「まあいいけどさ。それよりゆう、俺が死体になった時は、ちゃんと助けてくれよ?」

「え? ……あ、ああ」

 何を言われているのか最初分からず、しかしすぐにゆうは思い出す。

 ──遺体が残り続けた時には気を付けろ。

 ──見つけた時には、至急、に知らせるように。

 ゆうは、船の最後方を不快な気持ちを込めて見つめた。そこに、この船の中で唯一の大人、自分達の所属する第二レンジャー大隊、E中隊の隊長でもあるとうさねあつ大尉が座っている。

 各国のそうそうたる頭脳達によって、安全性の確保のために万全の準備を施されているPFではあるが、唯一、参加者達が厳に気を付けなければならないケースがあった。

 通常、した場合、その遺体はぼんやりと光り輝きながら、だんだんと霧散して、しばらくすると完全に消えることになっている。

 しかし例外的なケースとして、遺体が消えずに残存している場合、それは何らかの問題によって、正常なログアウトが出来ていない状態であることを示している。

 この時に関しては、大人──この船で言えば、とう大尉に至急事態を伝達して、即座に対象者の状態を確認してもらわなければならない。

「分かってるよたい。ビビッて漏らしてたとしても、には黙っておいてやるから」

「はあ? おま、ちょ、真面目に」

 突如。

 空を切り裂くような音に続き、耳をつんざく爆音が左手のボートから上がった。同時にすさまじい火柱が、校舎と同じ四階くらいの高さまで上がった。オレンジ色の光に照らされた二年二組の面々がぼうぜんと見つめる中、ゆうの後ろにいた誰かが、「一組だ……」とつぶやいた。

 そしてそのゆっくり立ち昇る火柱から、豪速球のように、次々と火の玉が飛び出して来た。

 二組の船の中は、一瞬できようこう状態に陥った。

 海に浮かぶ狭い船の中に逃げ場所なんてどこにもない。

 しかし生徒たちは泣き叫びながら、少しでも安全な場所に逃れようと、他人を押し分けて爆発のあった方の反対側へと進もうとする。

 ゆうの後ろで縮こまっていたこんどうが、男子に踏みつけられて小さな悲鳴を上げた。

 反射的に振り返り、ゆうが彼女をかばうために覆いかぶさったまさにその時、自分達のもとに、燃え盛る火の玉が降り注いだ。

 元はボートだった鉄くず。壊れた自動小銃。焼けたはいのう。半分に割れたヘルメット。火のついた右腕。足つきのミリタリーブーツ。

 失神したのは、主に男子生徒だった。

 動ける人間達は、誰の号令も待たずに一心不乱に火のついたゴミを海の中に投げ捨てた。

 ただのゴミだけではない。人間の身体からだであったものさえ、今や船に火を広げかねない危険物でしかなかった。ゆうも目の前に転がっていた細く白い腕を海の中に放り込む。

 その手首に、禁止されているはずの小さなブレスレットが見えた。

 見覚えがあったのは、一年の時に同じクラスだったとうあかねがしていたものだったからだと思う。VRだと理解しているはずなのに、ゆうの胸はズキリと痛んだ。

 ──あれ?

 とうあかねの腕が波間にまれた瞬間、頭の中に小さな違和感が湧いた。急速に逃げていくそれをゆうつかもうとした時、

ふるはし君、ありがとう」

 こんどうが胸の中で小さな声を上げ、血の気の抜けた青白い顔でかすかに笑った。元々バスケ部で活躍する明るく元気な彼女の面影は今やどこにもない。肩まで伸びたセミロングが、身体からだと共に震えている。

 ゆうは首を振ると、から身体からだを離した。

 波間に視線を戻して記憶を辿たどろうとしたけれど、違和感のざんも、そしてとうあかねの細い腕も、もう既に見えなくなっていた。

 気持ちの悪さを感じつつも、改めて船の中に目を向ける。

 一組のボートがやや遅れていたことが幸いしたのだろう。降り注いだ火の玉は、ほとんどが自分達の船の後方に落ちたようで、人的に大きな被害は見当たらない。

 あくまで外傷は、だが。

 船員達の顔面は、今や青を通り越して真っ白へと変わっていた。

 生気のある者がいない様は、まるで幽霊船。

 ぼうぜんと立ちすくむもの、すすり泣くもの、大切な人の名を呼ぶもの。

 船の中にいる間は、まだ安全だと思っていたのかもしれない。敵からの砲撃や、そうかいていが取りこぼすかもしれない機雷の存在を思い出し、自分の身体からだも、今この瞬間に生ゴミに変わるのかもしれないという恐怖とショックが、クラスメイトから人間性を根こそぎはく奪していた。

 胸の中に、猛烈な怒りがこみ上げてきた。

 ──プロジェクト・ファイアウォール。

 クソくらえ。

 これからの未来をになう若者に戦争体験をさせる?

 冗談はよせ。

 そもそも戦争をしてきたのは大人達であって、このプロジェクトは責任てんもいいところだ。

 本当にその体験をすべきなのは、戦争に国民を巻き込む世界の政治家や、その政治家を選出する大人たちに決まっている。

 ゆうたいを見て、を見た。涙でぐずぐずになったは声を押し殺して泣きながら、時折船に乱暴に揺すられて、ただひたすらに祈っていた。

 もう十分だ。もう十分にこのプロジェクトの趣旨は達成されている。

 ここから更に上陸して、撃ち合い、殺し合いまでする必要がどこにある。

 ゆうは船の最後方、中隊長のとう大尉のことをにらみ付けた。

 とう大尉は先ほどの騒乱などどこ吹く風。腕を組み、いつも通りのいかつい顔で船の正面をにらみ続けている。地蔵でも置いておいた方がまだマシだと、ゆうは奥歯をめた。

「大丈夫だよ」

 声の先には船に揺られるひろあいがいて、青い顔ながらも笑顔を見せた。

 ゆう達三人とも仲のい彼は、身体からだが小さく大人しいため、嫌味な連中からは「アイジン」などと呼ばれて揶揄からかわれる事もあるが、優しく、強い心を持った少年である。

「僕達には、『フロストバイター』が付いてる」

 ──フロストバイター。

 ゆう達と同じ第二レンジャー大隊に所属する、A中隊の第一小隊長の通称。

 プロジェクト・ファイアウォールの事前総合成績、全世界第四位に君臨するこの大隊の絶対的なエースは、冷静・冷徹・冷酷を極めた絶対零度の精神を持つと言われる……高校二年生の女子学生である。

 別の学校、別の中隊という事で、ゆうは遠目にしか見た事はないが、ズバ抜けた戦闘能力に加え、日本人離れした銀髪へきがんでとにかく美しいらしく、この船の中にもファンが少なからずいると聞いている。

「そうだね」

 笑顔でうなずき答えたゆうの隣で、たいが寒さで震えながらも、ニヤニヤ笑って口を開いた。

あい、でもお前、その言い方ちょっとオタクっぽいぞ?」

「え? そう?」

 ごうおん

 とてつもない爆発音に会話が吹き飛ばされ、胸が押し潰されそうなほどの苦しさを感じた。

 自分達の現在位置のはるか後方で爆炎が上がっている。戦艦「テキサス」、「アーカンソー」、「ネヴァダ」による十四インチ主砲のかたげんせいしやだった。

 撃っているはずなのに、その船体は斉射の瞬間、まるで攻撃されて爆発したかのように炎に包まれる。戦艦に加え、巡洋艦や駆逐艦から次々と海岸を狙って大型の砲弾が飛ばされる度、強烈な衝撃波が鼓膜をたたく。

 訓練中には見たことのなかった勇壮な光景に背中を押され、船内に力が戻ってくる。兵士達が自主的に、装備の最終チェックを開始した。

 この二年二組の生徒達は、今からノルマンディー上陸作戦のうち、最大の激戦地となったオマハビーチ上陸を経験するが、当時の連合軍兵士達とは違うところが大きく二つあった。

 一つは兵装。

 生徒達が持っているのは、当時使われていた旧式の銃火器ではない。イスラエルのIMI社製アサルトライフルのタボールであり、また、同社製ネゲフ短機関銃などなどである。

 つまり、現代の装備なのだ。

 どちらかというと、この上陸用舟艇の方をアップデートして欲しかったが、上陸用舟艇だけでなく、他の艦船、戦車、そして航空機といった兵器類は当時のままになっている。

 このいびつな状況は、自分達の戦力を隠しておきたい各国のおもわくと、自分達の武器をどんどん売り込んでいきたい軍需メーカーの思惑との、複雑なやり取りの結果生まれたらしい。

 そしてもう一つの違いが、歴史の失敗を知っているということである。

 実際の一九四四年の上陸作戦時に行われた艦砲射撃や、爆撃機による航空支援は、味方に対する誤爆をおそれて非常に「安全な」形で行われたため大幅に的がれ、敵の防御陣地にもほとんど効果が無かったと言われている。

 このため、今回のプログラム上ではこの後方支援を修正してあるらしい。敵戦力に大打撃、そして歩兵たちは、当時よりはるかに上陸しやすい状況になっている……はずなのだ。

 爆音が収まり、船内にふっと静寂が降りた。

 それをまるで待っていたかのように、とう大尉が静かに立ち上がり、船首へと歩き出した。戦闘開始時刻、午前六時三十分、通称「Hアワー」が迫っていた。

 その時、とう大尉の背中を追っていたゆうの目に、うっすらと前方の光景が見え始めた。

 濃いもやのかかる海上。

 その向こうに、ぼんやりと巨大な黒い影が見える。

 オマハ海岸の最右翼、断崖絶壁のオック岬に違いなかった。

 唾を飲み込み、喉がゴクリと音を立てる。

 肩が跳ねるくらい、心臓が胸を強くたたいている。

 断崖が、ますますその形を明確にしていく。

 ──「それ」に最初に気づいたのは目のゆうで、だからゆうは自分の目がおかしくなったのではないかと驚き慌てて、戦闘服で目元を擦った。再び船首を見る。

 言葉を失った。

「お、おい見ろ!」

 誰かが大声を上げて、船首の方を指さした。

 クラスメイトのうち半分くらいが、その姿をとらえることが出来た。

 それは崖と言うよりも、途方もなく巨大な要塞のように見えた。

 陸上のアプローチを含めると、総延長2618メートル。最上部の高さ87・8メートル。

 鋼3径間連続トラス・ボックス複合構造で、その重量は3万6千トンに達するが、トラス主構の設計にLFRDという特殊な設計法が利用された事により、重量の削減と、材料製作費の大幅な縮減を実現している。


 ──橋だった。

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