8 海鳥東月と奈良芳乃(3)

 ◇◇◇◇

うそ殺し〉が終わってからも、奈良は中々、海鳥から離れようとしなかった。

 やぶがでたらめちゃんに食べられたことで、彼女の能力によって起こされた現象はすべて『嘘』になった。海鳥の傷はもちろんのこと、かつて敗の攻撃によって病院送りにされてきた『被害者』たちも、なんならさっき破壊された海鳥の部屋のドアにしても、今ごろは根こそぎ『元通り』になっていることだろう。だからもう、何も心配はいらない──と、海鳥はそう何度も説明したのだが、しかし奈良は、かたくなに納得しようとしなかったのだ。

「やだやだやだっ! 離れない! 絶っっっ対に離れない! ちゃんとキミの無事を確信できるまで、私が不安じゃなくなるまで、今日はずっとキミと一緒にいる……っ!」

 奈良もでたらめちゃんと同じく、海鳥の『作戦』に賛成してしまったことを、勢いに流されて海鳥の無謀を後押ししてしまったことを、深く後悔していたらしい。彼女の取り乱しようはすさまじいものだった。目からぽろぽろと大粒の涙を流して、海鳥から片時も離れようとしない姿は、さながら母親にぐずつく小さな子供のようだった。

 やむなく海鳥は、奈良とぎゅっ、と手をつないであげた状態で、電車を乗り継ぎ、彼女を自宅まで送り届ける羽目になった。やがて奈良宅に到着し、インターホンを鳴らした後でさえ、奈良はまだ海鳥と離れるのを渋っていたのだが……慌てたように出て来た母親が、やんわりと彼女を引きはがしてくれたおかげで、海鳥はようやく解放されたのだった。

「奈良さんの〈嘘殺し〉は、しばらく『保留』にしようと思います」

 そして、その帰り道。

 海鳥のマンションの最寄り駅、いすずのみや駅へ向かう電車内にて、でたらめちゃんはつり革をつかみながら、そう出し抜けに切り出してきた。

「……『保留』?」

 奈良の涙でぐしゃぐしゃになった制服のシャツを、困り顔で眺めていた海鳥は、唐突なでたらめちゃんの言葉に、顔を向け返す。

「ええ。と言っても、今回奈良さんやせんぼうざくらさんに助けてもらったから、という理由ではもちろんありませんよ?」

 窓の外の景色に視線を向けたままで、でたらめちゃんは言葉を続けてくる。

「さっき海鳥さんの部屋でも言った通り、私は自分の目先の生き死にに関係なく、奈良さんの嘘を確実に仕留めるつもりでした。なら彼女は、まだどろぼうの催眠を受けていないだけで、本質的には〈一派の嘘き〉たちと同類であり──絶対に野放しにしてはいけない『社会悪』だ、と決めつけていたからです。

 しかし……今日一日、奈良さんと交流して、私はその認識を改めざるを得ませんでした。どうも彼女は、〈一派のうそき〉たちとは、『何か』が違っているようなのです」

 ふっ、とでたらめちゃんはいきを漏らして、

「少なくとも、中学までのさんは、〈一派の嘘憑き〉に限りなく近い人間だったはずなんですけどね。しかし高校二年生の彼女は、なんていうか、『普通にただのいい人』って感じでしょう? とても興味深い『変化』ですよ。高校に入学してからの一年間で、一体彼女にどんな『気付き』があったのでしょうね?」

「……はあ。いや、知らないけど、そんなこと」

 うみどりは戸惑ったように答える。

 そんなことを自分にかれても、奈良の価値観が一体どうして変容したかなんて、分かる筈がない──と、心の底から、そんな風に思いながら。

「……まあでも、あなたの言う通り、奈良は『放置』しても問題ないって私も思うよ」

 そして海鳥は、再び涙にれたシャツの胸元に目を落として、静かに言う。

「だってあの子は、何があっても、『世界の敵』になんかならないから」

 昨日までなら、もしかしたら、そう断言できなかったかもしれないけれど。

 今の海鳥は、はっきりそうだと、心の底から言い切ることができるのだった。


「だってあの子は、私の『味方』なんだから」


 ◇◇◇◇

 と、それから更に一時間後。

 破壊されたドアも含めて、すべてが『元通り』になった、海鳥のマンションの部屋にて。

「うん。正直これは、予想を裏切られたよ」

 生姜しようが焼きの切れ端を箸で口に運びつつ、海鳥は感慨深げにそんなつぶやきを漏らす。

流石さすがに自分から『料理はかなり得意』なんて言うだけあるね。まさか、ここまでちゃんとした、しい料理が食べられるとは思わなかったよ」

「恐れ入ります」

 言われて、恭しく頭を下げ返すでたらめちゃん。

 彼女たちは丸テーブルを挟んで、向かい合うようにして座っている。

 テーブルの上には、大小いくつものプラスチック皿が並べられている。皿の上に盛られているのは、豚の生姜焼き、卵焼き、ほうれん草の煮びたし、サラダ、しるなど……何もかもでたらめちゃんが、帰宅後の小一時間ほどで用意してみせた品々である。

「一応、一汁三菜くらいはそろえておこうと思いまして。とはいえ海鳥さんに、『ちゃんとした料理』なんて言っていただけるほど大した献立でもありませんけどね。あまり準備に時間が取れなかったものですから、正直かなりのやっつけ仕事ですよ。お恥ずかしいです」

 でたらめちゃんは謙遜したような口ぶりで言うものの、しかし、どこかまんざらでもなさそうな声音である。「本当ならうみどりさんには、もっと本気で作ったものを召しあがっていただきたかったのですけどね。自分で言うのもなんですけど、今回適当に用意したようなものとは、三段階ほどレベルが違うはずですから。また次の機会があれば、是非」

「……はあ。別に私は、これくらいで十分満足できるけどね」

 思いがけずじようぜつまくててきたでたらめちゃんに、海鳥は戸惑ったような息を漏らしつつ、「──っていうかさ、でたらめちゃん。そんなことより、あなたに最後にいておきたいことがあるんだけど」

「……? 訊いておきたいこと、ですか?」

「そもそもの話、私の『呪い』を治してくれる〈うそき〉なんて、本当に実在するの?」

 露骨に不信感をにじませたような声音で、彼女は尋ねていた。

「今まではなんとなく、そこに突っ込まないままで来ちゃったけど……よく考えたら、それってすごく『ふわふわ』した話だよね。でたらめちゃんがいくら嘘について詳しくても、そんな私にとって都合の良すぎるような〈嘘憑き〉、そうそう見つかるとは思えないしさ。

『すみません海鳥さん! 私も全力を尽くしたんですけど、あなたを治せる〈嘘憑き〉をどうしても見つけることが出来ませんでした! それでは、さようなら!』なんて、最後の最後にそんなこと言われようものなら、流石さすがの私もぶちギレると思うんだけど」

「……なるほど。確かに海鳥さんの立場からすれば、そこは気になる部分でしょうね」

 でたらめちゃんはうなずき返して、「なにせあなたは、『嘘をけるようになりたい』という理由だけで、私に協力することを選んでくれたんですから」

「……うん、そうだよ」

 ──だからよく考えて決断するんだ、海鳥──キミはでたらめちゃんを助けるのか、それとも、助けないのか?

 そうに問い掛けられたとき、海鳥の頭には色々なことが、様々な思いが駆け巡った。

 今日一日のこと、彼女のこれまでの人生のこと、やぶと戦う上でのリスク、命の危険。

 果たして、それらの要素をじっくりと吟味したのち、海鳥とうげつの出した結論は──

「私はどうしても嘘が欲しいんだよ、でたらめちゃん。だって私は、奈良と友達になりたいんだから」

 強い意志を込めたような口調で、海鳥は言う。「別に嘘を吐けなくたって、『処世術』さえあれば、日常生活にそれほど支障をきたさないだろうけどね。でもそれじゃあ、いつまでっても、あの子を友達と呼んであげることは出来ないから」

 そしてそれは、奈良のことだけに限った話ではない。

 彼女は今まで、『普通』ではなかったせいで、『色々なもの』を諦めてきたのだ。

 だから、もし『普通』になれるというのなら、彼女は──

「私はうそを取り戻すためなら、なんだってするよ、でたらめちゃん。〈嘘殺し〉だろうとなんだろうと、全力であなたに協力してあげる……まあ流石さすがに、今回みたいに内臓を潰されたりするのは、次回からは避けたいところだけど」

「…………ええ、ご心配には及びませんよ、うみどりさん」

 と、そんな風に真剣に語り掛けてくる海鳥に対して、でたらめちゃんはうなずき返して、

「私の〈嘘殺し〉に協力していただけるなら、海鳥さんが嘘をけるようになる、というのは、

 なにせ私、海鳥さんの『呪い』を治してくれる〈嘘き〉とは、知り合いなので」

「…………え?」

「まったく影も形も見えない〈嘘憑き〉をゼロから探し出すというならともかく──既に知っている〈嘘憑き〉にコンタクトを取るだけなら、『見つかりませんでした』なんてことは絶対に起こりえないでしょう?」

 でたらめちゃんは、なにやら悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべて言うのだった。

「ええ、そうです海鳥さん。私はあなたの救い主となる〈嘘憑き〉のことを、よく知っています。どういう人物なのか、どういう内容の嘘を吐いた〈嘘憑き〉なのか、今どこで何をしているのか、その何もかもをね」

「……! な、なにそれ!」

 あっけらかんと明かされた事実に、海鳥は衝撃を受けたように顔を引きつらせていた。

「は、早く言ってよ、そういうことは! それって私にとって、すごく凄く重要な情報じゃない! だ、誰なの、それ!? せめて、『どんな内容の嘘を吐いた〈嘘憑き〉なのか』だけでも、今この場で教えて──」

「ふふっ、そう焦らないでくださいよ、海鳥さん。これは私にとって、海鳥さんを味方につけるための、唯一絶対のカードなんですよ? そうやすやすと、手の内を明かすわけにはいきませんってば」

 勢いよく追及してくる海鳥に対して、でたらめちゃんはひらひら、とてのひらを振り返して、

「ただ、一つだけ情報を開示しておきますと──『その人』は〈どろぼうの一派〉のメンバーというわけではありません。私が『その人』と知り合ったのは、〈一派〉に加入するはるか以前のことですからね。つまり『その人』の存在は、〈一派〉のメンバーにすら、知られていないということです」

「……要するに、でたらめちゃんに仲介をお願いするしか、私と『その人』がコンタクトを取る方法はないってこと?」

「そういうことです──あははっ、良かったですね、海鳥さん。これでもうあなたは、私に協力するしかなくなってしまいましたよ?」

「…………っ!」

「まあ、この話はまた今度にしましょう。今日はもう大分夜も遅いですしね──とにかく今の段階で、私からあなたに言えることは一つですよ、うみどりさん」

 そして彼女は、不敵に微笑ほほえみながら、海鳥の方にてのひらを差し出してくるのだった。

「私を信用してください。私は絶対に、海鳥さんにうそを手に入れさせてみせます。嘘しかけないでたらめちゃんと言えど、これだけは本当です」

「……っ! な、なんなのそれ! でたらめちゃん、最後まで適当なことばっかり!」

 対する海鳥は、差し出されたでたらめちゃんの小さな掌を、あからさまに不審そうな目で見つめ返している。「大体、『嘘しか吐けない』っていうのも意味分からないしね! 本当に嘘しか吐けないのなら、それはただの正直者だし、そもそもあなた、割と本当のことしやべってるし……!」

 と、海鳥はそんな風に、でたらめちゃんの眼前でいやいやと首を振り続けていたが、

 ──やがて観念したという風に、差し出された掌を、しっかりと握り返していた。


『嘘を吐けない』海鳥とうげつと、『嘘そのもの』でたらめちゃん。

 の〈嘘殺し〉コンビ、結成の瞬間だった。

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