一章(9)

 ◆


「あれほど気をつけろと……」

 ガスが苦い顔で、ブラッドとマリーに苦言を呈していた。

「……すまん。迂闊だった」

 ブラッドが姿勢を正し、マリーとガスに頭を下げている。

「いえ……秘密にしたままだった、私が悪いのです」

 マリーが悄然とした様子でうなだれていた。

 あれほど焼けただれていた彼女の体は、なぜかすっかり元通りになっている。

 ……僕は石造りの部屋の簡素なベッドに寝かされていた。自分の部屋だ。

 頭がくらくらする。手が痛い。ものすごく痛い。ぐぅぅ、と呻きながら布団を抱きしめ、僕は必死に痛みを我慢していた。

 前後の記憶が曖昧なのだけれど、あの後すぐに、叫びを聞いたガスが壁を抜けて駆けつけてくれたのだという。僕は腕が焼けるのも構わず、動かないマリーを揺さぶりながら半狂乱で絶叫していたらしい。

 ガスがすぐに引き剝がし、魔法を含めた応急処置をしてくれたのだけれど……当然、手のひらから腕にかけて火傷をした。

 本格的な火傷というのは痛い、と聞いていたけれど、本当に痛い。両腕がガンガンと激痛を発している。範囲の広い重度の火傷を負った人というのは、治療中に周囲に「いっそ殺してくれ」と懇願することもあるそうだけれど、気持ちが少し分かった。そうも言いたくなる。

「ウィルの手だが……自然に全快するか?」

「難しいのう……幸い指同士が癒着まではせんかったが、痕が残るのは避けられまい」

 怖い話が聞こえる。

 でも、そりゃ、そうだよなぁ。

 焼けた石炭を摑んだみたいな感触がしたうえに、そこから手を離さなかったのだ。今は清潔な布を巻かれているけれど、じくじくと体液が布に染みだしているのが分かる。

 間違いなく、解いたら目を覆うような、凄いことになっているだろう。ひょっとして手の握り開きにまで支障が出るかもしれないと思うと、怖い。

 ……でも、僕は不思議なくらいに落ち着いていた。

「ウィル。……ごめんなさい、ウィル。わたし……わたしが……」

「違うよ。元はといえば、噓ついて覗いた僕が悪いんだ」

 マリーが元通りになっているということは、たぶんあれは何か常のことで、僕に心配をかけまいと伏せていたのだろう。

 そして僕は、必要もないのにマリーを助けようとして痕の残る怪我をした。

「謝ることなんてないよ。……マリーが無事で、よかった」

 無知からくる、無鉄砲な行動だ。愚かなやつだという人もいるだろう。

 でも、僕は安堵していた。

 それは意味のない行動だったかもしれないけれど、それでもマリーは無事だった。

 この世界に生まれてからずっと、僕を優しく育んでくれた彼女は、無事だった。

 僕は、動けたのだ。

 マリーのために後先を顧みず動けた。けして保身や打算で、足を止めたりしなかった。

 前世のように、何くれと言い訳をして、リスクを恐れて立ち止まったりはしなかった。

 だから、

「……そんなに気にしないでよ、ね?」

 心から、マリーに微笑みかけることができる。

 謝ることなんてありません。あなたが無事で、本当によかった。

「ウィル……」

 マリーは、目を伏せたまま震えている。

 その表情は普段は見ないもので、僕には彼女の内心が上手く読めない。

「あり、がとう……ウィル……ありがとう、ございます……」

 マリーが、横たわる僕の頭をかき抱いた。

 焚いた香木の匂いがする。不快ではない、落ち着く匂いだ──

「……さて。それで、なんだって仮病使ってまで礼拝を覗いたりしたんだ」

 マリーが落ち着くのを見計らって、ブラッドが問いかけてきた。

 厳しい口調だ。とりあえず叱る気らしい。

 うん、そりゃあそうだ。自分で言うのもなんだけれど、経緯はどうあれ禁じられていたことをして怪我をしたのだから、一度はしっかり叱責されてしかるべきだ。

「……ずっと気になってたんだ。三人がどうしてここにいるのか。そして生きている僕が、なんでここにいるのか。それで、見るなって言われてる礼拝に、何か手掛かりがあるんじゃないかと思って……」

 心理学でいうカリギュラ効果しかり、民話の見るなのタブーしかり。禁止されているからこそ、気になってしまうことはある。

 とはいえ、何事もなければこっそり覗くだけで済ませるつもりだったのだ。マリーがあんな状態になっていなければ……いや、これは言い訳か。

「俺は、お前がでっかくなったらいずれ話すって、ちゃんと言ったよな?」

 ブラッドはため息をつくような動作をする。

「お前は、俺たちが、理由もなく何かを禁じるようなやつだと思ってたのか?それとも、俺たちが噓つきだとでも? ……ウィル、お前は賢いんだ。禁じるなら禁じるなりの理由があることくらい、分かるだろう」

 はい、仰るとおりです。自分の我慢が足りなかったとしか言いようがない。

「あ、あの、ブラッド。何もそこまで言わなくても、その、ウィルは子供らしい好奇心で」

「マリーは今は黙ってろ」

 おずおずと僕を庇おうとしたマリーを制し、ブラッドは僕を見おろして言う。

「ウィル。他に、何か理由や言い訳はあるか」

「……ありません。ごめんなさい」

 言い終わるやいなや、ブラッドは拳骨を振り上げ、僕の頭に思いきり叩き下ろした。

 がつん、と衝撃が走る。

「〜〜〜っ!」

 くらくらする。生理的な反射で、目に涙が滲んだ。

「以後は俺なりマリーなりによく相談するように。この辺りは廃墟もあって……まぁ、何かと危ないんだ。あまり勝手に動かれると、たまらん」

 はい、と頷いて……

 ふと、叱られるのは前世も含めて、一体どのくらいぶりだろうな、と思った。前世ではすっかり周りから諦められていた。叱っても無意味だと思われて、腫れ物扱いされて。

 今、ブラッドは、わざわざ憎まれ役を買って出てくれている。これから僕に避けられたり、怖がられたりすることも覚悟で、きちんと怒ってくれているのだ。

 ……叱られて嬉しいなんて、なんだか変かもしれない。

「それと、ウィル」

「……?」

 ブラッドは拳を解いて、僕の髪をわしゃわしゃとかき回した。

「マリーのためによく飛び込んだな。その傷は男の勲章だぜ?」

「…………」

 思わず、口の端が緩んだ。

「ブラッドの弟子だもん」

「お、こいつ。嬉しいこと言いやがって!」

 笑いあい、じゃれあう僕たちを見て、マリーがほっとしたように笑い、ガスがやれやれと肩をすくめていた。

「ところで、マリーよ。礼拝については、もうウィルに伝えておかんか」

 ひとわたり場が落ち着いたところで、ガスがそう言い出した。

「ワシらの来歴は、下手に話すとこやつ、推理を重ねてえらいところまで辿り着きそうじゃから難しいが……ワシゃ、二度も三度もこんな騒動に付き合わされるのはゴメンじゃ」

「俺も……まぁ、そうだな。そうしといたほうがいいと思うぜ」

「……そうですね。秘密が過ぎると逆に危ないと、今回の件でよく分かりました」

 ガスとブラッドが言い、マリーが頷いた。

 それから、ガスがしかつめらしく語りかけてきた。

「ウィルよ。なんというか、少しひくかもしれんが聞いてくれ」

 ……ひく?

「おぬしの食料な。あれ、毎度マリーが火だるまになって呼び出しておったんじゃ……」

 …………は?

「ほれ、銀盆があったじゃろう。あの礼拝が終わるとあそこに出現するんじゃ」

「……冗談?」

「冗談でこんなことを言うものか」

 まって。ちょっと、まって。

 理解が追いつかない。

「く、詳しく……」

 そう言うのがやっとだったけれど、ガスは詳しく説明してくれた。

 祝禱術……時に加護とか奇跡とか呼ばれるそれは、神さまの超常的な力を借りるすべらしい。

 以前ガスが、授業で少しだけ触れた、神々が眷属に与える加護のことだ。

 神話の時代、神々の戦いで体を失い、次元の彼方へと去った神々。祝禱術は自らの身を介して、そのいずれかの神の力をこの地上に顕現させる術なのだという。

 古代語魔法ではできない、聖餅や神酒と呼ばれる飲食物を作り出したり、病気や怪我を治したりできる神の御業。神さまは加護を与えた人間に、不確定な状況で啓示を出して導いてくれたりもするし、これを極めるとその身に神そのものを降ろしたりもできるという。

 けれど逆に、《創造のことば》を用いる魔法にはない制限も受ける。

 神の力を借りるものである以上、神と通じ合えなければ用いることはできない。だから力を借りる神に気に入られるような精神性や、厚い信仰心がないといけないのだという。

 また、力を借りる神の嫌がることはできない。

 つまり同じ善なる神の眷属相手に攻撃性の高い術は使えないとか、繰り返し悪事を行ったら祝禱術そのものを剝奪されるとか、そういう制限を受けるようだ。

 そういう一長一短な、魔法に並ぶ神秘なのだそうだけれど、どうして今まで僕がそれを知らされていなかったのかというと……

「ワシが教えておらなんだし、関連書籍を隠しておったからな。聞いて学んだら、おぬしはマリーが使い手だと推測するじゃろう、賢いからな」

 確かにマリーは敬虔だし善良だし、いかにも使えそうだ。

 ガスの言うとおり、そう推測しただろう。

「そのうちワシの書物やらを読んで推理を重ねて、火だるまになっていることを知る。……で、火だるまになってまで食料を作ってもらうのは嫌だ、と言い出すじゃろう。たとえワシらが上位の不死者アンデツドで、火だるまになった程度では体なぞ復元してしまうと教えたとしても、じゃ」

「そりゃ嫌がるだろうけど……そもそもどうして火だるまになってるのさっ」

「そりゃあ……」

「それは、私が不死者アンデツドとなったから。……地母神マーテルを、裏切ったからです」

「マリー……」

 マリーは目を伏せていた。うつむきがちで、沈痛な表情だ。

「私たちは不浄なる不死の神スタグネイトと契約を交わし、その身を不死者アンデツドと化しました。そして地母神マーテルは、不死神の敵対者。その神気に触れるだけで、不浄な不死者アンデツドは焼かれてしまいます」

 神殿の彫刻を思い出す。地母神マーテル。土に実る稲穂を背景に、赤子を腕におさめて、慈愛の笑みを浮かべるふくよかな女。

「……許されるはずもありません」

 裏切ったから、罰せられているのだとマリーは言う。

 でも、だったら、それでも祈るのは……

「…………僕のため?」

 僕のために。日々のパンを作り出すためだけに、マリーは祈っているのだろうか。

 そのために、身を焼きながら。だとしたら──

「ぼ、僕、もっと畑仕事するよ、狩りもするっ。だから……」

「違いますよ、ウィル」

 その懸念を、マリーはふわりと笑って否定した。

 やわらかく、包み込むような声だった。

「朝夕に地母神マーテルに祈りを捧げるのは、ウィルと出会う前からの私の日課です」

 ……噓ではなかった。

 マリーは、こんな笑顔で、こんな声で、噓をつくことはできない。

 それは七年間を一緒に過ごして、知っている。

「地母神マーテルは子供の守り神。ウィルと出会ってから、少し食べ物を頂けないかとも祈るようになりましたが……もとより、祈る習慣自体は変わりません」

「……マリーのいうことは間違いない。ワシも保証しよう」

「何度か、もういいだろっつったんだけどな」

 ガスは穏やかに頷いている。ブラッドは少し苦い顔だ。

「なんで?」

 前世の記憶があっても、それは理解できない行為だった。

 つまりマリーは、僕が来る前は何の見返りもなく、毎日火だるまになっていたのだ。

「……痛くないの?」

「痛いですよ。泣いちゃいそうです」

 もう涙は流れないですけれど、とマリーは微笑む。

 彼女は言う。

 裏切ってしまっても、それに痛みで報いられても……


「それでも私は、やっぱり地母神を慕っているのです」


 ……綺麗だ、と思った。

 微笑みを絶やさないマリーを、とても綺麗だと思った。

 マリーは枯れ木のような、あるいは即身仏のようなミイラだ。一目見ただけなら、どう見たって、おぞましいとか、恐ろしいとかいう感想が先に立つだろう。

 でも、僕の目にマリーは、とても綺麗に映った。

 たぶん心ならず、慕っていた相手を裏切り。拒絶され。触れようとするたびに焼かれる。……何度触れようとしても、激痛をもって報いられる。

 それは、どれだけ苦しいことなのだろう。前世も含めて人生経験なんて薄っぺらで、信仰なんてない僕には、その苦しみは分からない。

 ただ、辛いだろうと思う。苦しいだろうと思う。何かを罵りたくなっても、憎みたくなっても、けしておかしくはないはずだ。

 きっと前世の僕なら、間違いなくそうしただろう。

 でも、マリーは苦しみを穏やかに受け入れていた。マリーが誰かを罵ったり、憎んだりすることなんて、僕は一度たりとも見たことがなかった。

 そんなマリーが、僕にはとても綺麗に見えた。

「この祈りが、たとえ受け入れていただけなくとも……」

 ウィル、とマリーは優しく僕の名を呼ぶ。

「それでも祈ることには、きっと意味があると、私は信じているのです」

 ……そう、なのだろうか、と思った。

 ……そうだといいな、とも思った。

「それに、マーテルは何も仰いませんが……ウィルと出会ってからは、日々の聖餅パンをお恵み下さいます」

 地母神マーテルは、彫刻でも赤ん坊を抱いていた。

 子供の守護神でもあると、マリーは言った。

「たとえ許して頂けなくても……それだけで、私は十分に救われているのです」

 あなたのおかげですよ、ウィル?と、マリーは悪戯めいた口調で言う。

「本当に、黙っていてごめんなさいね。……そして、これからもパンを食べてくれると、私は嬉しいのですけれど……」

 腕の火傷。火だるまになるマリー。

 パンが喉を通らなくなる理由としては、確かに十分だろう。

 でも……

「うん、食べるよ」

 たぶん、僕は食べられる。そう思った。

「でも、一つお願いがあるんだ」

「?何でしょう」

 できることなら、

「これからは、僕も一緒に祈らせて」

 マリーの見ているものを。マリーの感じているものを。

 ほんの少しでも理解したいな、と思った。

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